面倒なこともありませんので、師匠の差図《さしず》と自分の考案で、童女の方は十か十一位、桃割《ももわれ》に結って三枚|襲《がさ》ね。帯を立矢に結び、鹿《か》の子《こ》の帯上げをしているといういわゆる日本むすめの風俗で、極めて艶麗《えんれい》なもの。童男の方は、頭をチョン髷《まげ》にした坊ちゃんの顔。五つ紋の羽織の着流しという風俗であった。
これは彩色なしではあるが、木地《きじ》のままでも、その物質そのままを感じ、また色彩をも感ずるように非常に苦心をして彫《や》ったのであった。たとえば、帯は緞子《どんす》の帯ならば、その滑《なめ》らかな地質がその物の如く現われ、また緋鹿《ひが》の子《こ》の帯上げならば、鹿の子に絞り染めた技巧がよく会得されるように精巧に試みました。また、衣物《きもの》の縮緬《ちりめん》、裾《すそ》模様の模様などにも苦心し、男の子の着流しの衣紋《えもん》なども随分工夫を凝らしてやったのでありました。私が精巧|緻密《ちみつ》な製作をまず充分に試みたと思うたのは、その当時ではこの作が初めであったと覚えます。これもなかなか修業となりました。
出来上がると、師匠も、なかなかな出来
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