一切分らなかった市民一般も、これで、まず博覧会のどんなものかを知りましたと同時に、また出品人の中でも、訳が分らなくなって、面倒がったり、困ったりしたものも、大きに了解を得、「なるほど、博覧会というものは、好い工合のものだ」など大いに讃辞を呈するというような結果を生じました。というのは、当時、政府もいろいろ意を用いたものと見えて、政府から出品者に対して補助があったのでした。七十円の売価のものに対しては約三分の一位の補助金が出た上、閉会後、入場料総計算の剰余金を出品人に割り戻したので、出品高に応じて十円か十五円位を各自《てんで》に下げ渡しました。
 こんなことで、まず博覧会の評判もよろしく、そういうことなら、もっと高価なものを出品すればよかった。自家《うち》のものは余り安過ぎたなど、私の師匠なども後で申された位でありました。万事こんな訳で、十年の博覧会も一段落ついたことでありました。
 それから、今の出品の白衣観音でありますが、それは、開会当時はそのままであったが、閉会後間もなく横浜商人の西洋人が師匠の宅へ右の観音を買いに来て、定価七十円で話がきまり、或る日師匠がそれを持って横浜の商館へ行
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