時分、配偶者のことなど考えて見ても決して遅くはないと思っていたのであった。それに当時の自分では、本当に、自分としても、まだ自分の技倆が分らぬ。他人の中へ出て、いよいよ一本立ちとなった場合、どういう結果になるものか、どうか、まだ、今日の場合、浮々《うきうき》と配偶者のことなどに係わっていることは出来ないという考えであったのでした。
けれども、師匠は私がどう考えているかは頓着《とんちゃく》もなく、いろいろ相当と思うような人を見つけて来たり、時には師匠の家へそうした人を置いたりしたこともあった。が、私は今申す通りだからさらに顧みず、師匠の志を無にしておった。
徴兵のことも方附《かたつ》き、配偶者の話がしきりに師匠や師匠の妻君《さいくん》の口から出ますけれども、いずれも私は承知をしません。私は心の中で、とても、今の身で、うっかりした所から妻など貰えはしない。自分のような九尺二間のあばら家《や》へ相応の家から来てくれてがあろうとも思わず、よしまた、あると仮定して上《うわ》っ冠《かぶ》りするのはなお嫌《いや》。といって、つまらない権兵衛《ごんべえ》太郎兵衛《たろうべえ》の娘を妻にはこれも嫌なり
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