すから、時々帰る。おきせさんが感心に良人の看病をしている。私も気の毒に思い、世話というほどのこともしないが何かと心を附けて上げました。それを病中の善蔵さんが大変によろこんで、私を何より頼りとしている。その中《うち》ついに善蔵さんは病|重《おも》り、気息《いき》を引き取る際《きわ》になったが、その際、病人はいろいろと世話になったことを謝し、なお、この上、自分の死後を頼むというのであるらしいが、もはや最後の際でありますから、何をいわれるか、確《しか》とは言葉も聞き取れませんが、何しろ、自分の亡き後のことなど私へたのむということであることだけは分る。妻のおきせさんも附き添い、いずれも涙の中に、病人は繰り返し私に頼む頼むと、いいおりますので、私も、病人の心を察し、快く、畏《かしこ》まりました。御心配のないようにといい慰めている中に、ついに病人はそのまま気息を引き取ってしまいました。
 それで、おきせさんは未亡人になり、養女お若は血縁の叔父《おじ》(すなわち餐父)に逝《ゆ》かれ、まことに心細いこととなりました。しかし相当遺産もあり、また里方(東雲師の家)もありますから、未亡人になっても困ることもないが、女の手一つでは穀屋を続けて行くことも出来ないので、店を仕舞いました。
 そこで、何んだか、おきせさんは中途半ぱな身になっているので、養女お若の遣《や》り場がないような有様になっている。それで東雲師は、俺の家へお若を伴《つ》れて来て置け、何んとか世話をしてやろうなどいっていられるのを私は知っておりましたが、何んとなく、こうした境遇に落ちて来たお若の身の上が気の毒に思われてなりませんでした。

 さて、私は、自分の境遇を考えると、前述のような羽目《はめ》になっている。どうしても、この際、家内を貰わなければならない都合になっている。といって上《うわ》ッ冠《かぶ》りで、妻の身内《みうち》の方から何かと助けてもらうような状態になることなどは好ましくない。今の自分の境遇相当、自分にもさして懸隔《けじめ》がなく、そして気立ての確《しっ》かりした、苦労に耐え得るほどの婦人があれば、それこそ、今が今といっても、家内にしても差しつかえがないと思っているところへ、ちょうど、此所《ここ》にお若という気の毒な境遇に立っている婦人を見出したのであった。その娘は、今、何処《どこ》といって行く所がなくて困って
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング