えかという。私は、自分の心持を話しますと、師匠はお前が相更《あいかわ》らず家に来てくれるなら何より好都合だとのこと、私に取ってはなおさらのことですから、早速翌日から参る旨を答えますと、親御《おやご》たちの考えもあろうから、差しつかえなければ来てくれとの事に親たちも異存なく、再び私は師匠の家に寝泊まりして従前通り仕事することになりました。
 しかし、もはや、私も年季明けの身であれば、師匠も年季中のもの同様に私を取り扱うことは出来ぬ。そこで、私の手間《てま》のことについて相談がありましたが、一日に一|分《ぶ》(今の二十五銭)、一月三十日の時は七円五十銭、三十一日の時は七円七十五銭の手間を師匠から貰《もら》うことになりました。私も満足でありました。当時立派な下職としても一分が相当、年季明け早々の私に一日一分が貰えるかどうかと内心でも考えていたことであったが、師匠が私に対しての取り扱い方が立派な下職並みにしてくれられたのでありました。当時仏師の手間は随分安い方で、一日一分は上等の職人でありました。
 右の事など父に話しますと、
「それは結構である。我々はこのままでどうやらやって行けるから、お前
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