方でありました。
 武家の方は割合少なくて、町家の方が多かった。これらの人々の注文はいずれも数寄《すき》に任せた贅沢《ぜいたく》なものでありますから、師匠自ら製作するのを見ていても私に取っては一方ならぬ研究となる。また手伝うとしたらなおさらのこと、力一杯、腕一杯に丹念に製作するので、幾金《いくら》で仕上げなければならないなどいうきまりもなく、充分に材料を撰み、日数を掛けてやったものであります。したがって、それに附属する塗り物、金具類に至っても上等なものを使うこと故、その方へも自然私の目が行き届く。これはまことに師匠のお蔭で、今日考えても私には幸福なことでありました。また、名あるお寺の仕事もしましたが、これらは一層吟味|穿鑿《せんさく》がやかましいので、師匠が苦心する所を実地に見て、非常に身のためとなった。それに当時は私も専《もっぱ》ら師匠の仕事を手伝い、また自分が悉皆《すっかり》任されてやったといっても好《よ》いものもあって、自分の腕にも脳《あたま》にも少なからずためになったものでありました。
 かくてちょうど私の年齢は二十三歳になり、その春の三月十日にお約束通り年季を勤め上げて年明け
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