んでいることであるから、声の方の芸事は問題ではないが、声を出さない方の芸事ならば、師匠の申さるる通り、やって見ても差しつかえもなかろうということを考えました。そこで私は偶然思い附いたことがあったので、これは旨い考えだと思いました。
その頃、師匠の家は駒形(今の鰌屋の真向う)にあって表通り、裏は駒形河岸、河岸の家の尻と表通りの家の尻とが相接していて其所《そこ》に長屋の総井戸が、ちょうど師匠の家の台所口にある。隣家は津田という小児科の医者、その隣りが舟大工《ふなだいく》、その隣りが空屋《あきや》であったが、近頃其所へ越して来た母娘《おやこ》の人があった。これは徳川の扶持を離れた武家出の人で、母娘ともに人柄であったが、その娘の方が踊りの師匠をこの家へ来てから始めている。私がふと思い附いたというのはこれで、此所《ここ》へ踊りの稽古に行って見ようかと思い立ったのでありました。
しかし、私は、今日まで、そういうことなど考えて見たことのない生初心《きうぶ》な若者|故《ゆえ》、いざ行くとなると気が差してなかなか行き渋る。が、或る晩、晩飯を済まし、裏口から、酒の切手を手土産《てみやげ》にして思い切って出掛けて行った。何んだか冷汗を掻《か》く思いで敷居を跨《また》ぎ、御免下さいといったものである。すると、応対に出たのが母親の人で、武家出のこととて、芝居にでもあるような塩梅《あんばい》で甚だつき[#「つき」に傍点]が悪い。
「何か御用でお出《い》でですか」
と、いったようなことで、ちょっと挨拶《あいさつ》に困ったが、実は踊りの稽古をしてもらいたいので出ました、と自分が直ぐ表通りの仏師屋の弟子であることを話すと、なるほど、お見掛けしたお顔だが、お見それして失礼です。しかし、こうしたお稽古はお宅のお師匠さんのお許しがなくては、後でまた面倒が起りますと、申し訳がありませんから、などなかなか固苦しい。私は師匠から勧められ許しを得ている旨を答えると、
「それでは、まあ、よろしいでしょうが、こういうことはむやみと誰でもが遊ばすことでもないから……」など物堅く、やがて、一応、娘のその踊りの師匠という人に引き合わされなどしてから、
「まあ、お遊びのつもりで、一晩、二晩は御覧なすってお出でなさい、今、お弟子の若い人が稽古をしますから」
と話している処へ、若い男の弟子が来て、そろそろ稽古が始まることにな
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