ならんといったではないか。途中で帰って来れば足骨をぶち折ると確かにいい附けた俺の心を汝は何んと聞いたのだ。俺は子供の時、一家の事情によって身に附くような職をも覚えず中途半パな人間になってしまったが、汝にはそれをさせたくないという親の心が分らんのか。世間が騒がしかろうが、貧乏をしようが、汝の手助けを当てにする位なら汝を奉公になど出しはしない。一旦師匠の家に住み込んで、年季も満足に勤め上げず、中途で師匠を暇取るというような心掛けで、汝は何が出来ると思う。帰って親の手助けをしようなどと、生意気なことをいうな。俺には知己も交際もある。汝のような中途半パで帰って来た不埒《ふらち》な奴を家に置いたとあっては、俺が世間へ顔向けが出来ない。今日限り親子の緑を切るから勝手にしろ、予《かね》ていった通り、足骨を打《ぶ》ち折ってもやりたいが、今晩だけは勘弁してやる。何処《どこ》でも出て行って、その腐った性根《しょうね》を叩《たた》き直せ」
 こういうわけで実に恐ろしい見幕。ぐずぐずしていると、本当に足骨を打ち折られそうでありますが、しかし私はこの父の厳しい譴責《けんせき》によって、つくづく自分の非を悟りましたので、散々《さんざん》その場で父に謝罪を致し、以来決して不心得を致しませんによって、今度だけはお許しを願いますと、涙を流して申しました。
「そうか。それが分ればそれでよい。俺には長男|巳之助《みのすけ》があり汝《きさま》は次男だが、母には汝は一人の児だによって母に免じて今度は許す。汝が一人前の人間になるまで、ドンナことがあっても俺は汝の腕を借せとはいわぬ。家のことなど考えず、一生懸命仕事を励み、師匠のため尽くせ。それが汝のすることだ。分れば、それで好《よ》い」
 こういった後、父も機嫌《きげん》を直してくれまして、それから母がお茶を入れ、菓子など食べ、早速その晩、師匠の家へ立ち帰り、一層身を入れ仕事を励んだことでありました。
 思うに、この時、父がかく厳しく訓誡してくれましたことはまことに親の慈悲であって、こうした教訓を与えられず、甘い言葉を掛けられ、また父の都合上から、私の小さな力でも借りようとしたならば、私の将来もほとんど想像されたことであります。もしこれが普通の人であったら、こうも私の父の如く、厳しくキッパリと頭からやっつけはしなかったと思いますが、全く、この時、かく手厳しく譴責されたことは、私の身に取り、ドンナに幸福であったことか分りません。父の賜《たまもの》によって、将来世に立ち、まず押しも押されもせぬ人間一生をかく通り越し来たことは心に感謝する次第であります。

 私の父は、前にも度々申した如く、まことに気性の潔い、正直|真《ま》ッ法《ぽう》で、それに乾児《こぶん》のものなどに対しては同情《おもいやり》深く、身銭《みぜに》を切っては尽くすという気前で、自分の親のことを自慢するようであるが、なかなかよく出来た人であった。後年隠居を致し、私から小遣いを貰って、神詣《かみもう》でなどに参りまして、貰っただけの小遣いはそれだけ綺麗に使って来たもので……それも自分のためというよりは、何んでも、江戸の名物と名のつくものを買って来て、家のものにお土産《みやげ》にして、皆《みんな》で一緒にお茶を入れて、それを食べて喜んでいる所など、昔ながらの気性が少しも変りませんでした。よく、芝口のおはぎ[#「おはぎ」に傍点]、神明の太々餅《だいだいもち》、土橋《どばし》の大黒|鮨《ずし》などがお土産にされたものでありました。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年9月8日作成
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