責されたことは、私の身に取り、ドンナに幸福であったことか分りません。父の賜《たまもの》によって、将来世に立ち、まず押しも押されもせぬ人間一生をかく通り越し来たことは心に感謝する次第であります。

 私の父は、前にも度々申した如く、まことに気性の潔い、正直|真《ま》ッ法《ぽう》で、それに乾児《こぶん》のものなどに対しては同情《おもいやり》深く、身銭《みぜに》を切っては尽くすという気前で、自分の親のことを自慢するようであるが、なかなかよく出来た人であった。後年隠居を致し、私から小遣いを貰って、神詣《かみもう》でなどに参りまして、貰っただけの小遣いはそれだけ綺麗に使って来たもので……それも自分のためというよりは、何んでも、江戸の名物と名のつくものを買って来て、家のものにお土産《みやげ》にして、皆《みんな》で一緒にお茶を入れて、それを食べて喜んでいる所など、昔ながらの気性が少しも変りませんでした。よく、芝口のおはぎ[#「おはぎ」に傍点]、神明の太々餅《だいだいもち》、土橋《どばし》の大黒|鮨《ずし》などがお土産にされたものでありました。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年9月8日作成
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