て来て、そんなことをしたものだという。やっぱり、今度のそれも大若衆がやったのであろうなど腹の中で考えて一層不安が増し、取り沙汰が喧《やかま》しくなるという風で、物情実に騒然たる有様であった。

 私は、師匠の店におって仕事をしている間、子供心にも、これらの世間話しを聞きますにつけて、自分の両親《おや》たちのことが心配でならないのでありました。一心に毎日の仕事をしている中にも、ふと、家のことを思い出すと、仕事の手を留めて、茫然《ぼんやり》とその事を考えている。今頃、父はどうしていられることだろう。母様は何をしていられることか。……と思い出しますと、どうもこうして師匠の家に自分だけ安閑とはしていられない気がして来るのでありました。
 自分の父は、幼い時、その親が身体《からだ》を悪くされたために、自分の身を犠牲にして、一生懸命一家のために尽くされたという。自分は、その父が家のために尽くしたという年齢よりも、まだ、ずっとおとな[#「おとな」に傍点]になっているのに、こうして、師匠の家に安閑として家のことや、親たちのことを他所《よそ》に見ているというは、何んたる不孝のことであろう。ここはこうしている場合ではない。自分も父のしたように、自分の父に対して、その危急を手助けしなければならない。――
 こう私は思い詰めぬわけに行かなかった。

 或る日、日暮れに、ふらふらと、黙って、師匠の家を出て、親の家へ帰って来ました。
 父は稀見《けげん》な顔をして、私を見ていました。母は、それでも、何かと私に優しいことをいってくれていました。
 私は父に向い、
「実は、世間がいかにも騒々しく、いろいろな噂を聞きますので、家《うち》のことが心配でたまりませんから、明日《あす》からあなたと一緒に商売をして、何なりとお手助けしようと思い、それで戻って参りましたので……」
 こういう意味のことを、恐る恐る述べました。それで父の意も解け、顔色《がんしょく》も和らぐことかと思ったのは間違いで、父は恐ろしく厳励《きび》しい声で、私に怒鳴りつけて来ました。
「馬鹿野郎、汝《きさま》は、もう俺《おれ》のいったことを忘れてしまったか。汝が初め、師匠のお宅へ奉公に出る前の晩、俺は汝に何んといった。一旦《いったん》、師匠の家へ行った以上、どういうことがあろうとも、年季の済まぬ中《うち》にこの家の敷居を跨《また》いでは
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