《あと》に届けてくれたもの少々とが残ったほかには、何も残りませんでした。笑い事ではありませんが、前述の万年屋の前で、師匠が大事に背負《しょ》って行った大風呂敷の包みは、諏訪町河岸にいた師匠の妹の夜具|蒲団《ふとん》であったので「わざわざ本所まで背負って行ったものの、これは妹に返さねばならない」と、後で、師匠が苦笑しました。
 ところが、また不思議なことには、私の道具箱が何処にどう潜んでいたか、そのままに助かった。それは、まだ子供のこととて、羊羹《ようかん》の折を道具箱にしたもので、切り出し、丸刀、鑿《のみ》、物差《ものさし》などが這入《はい》っていた。これが助かったので、後《あと》に大変役に立ちました。
 何しろ、今度の火事は変な火事で、蔵前の人々は、家が残って荷物が焼けました。これは、荷物を駒形の方へ出したためです。急に西風に変ったために蔵前の家々は残りました。ちょうど、黒船町の御厩河岸《おんまやがし》で火は止まりました。榧寺《かやでら》の塀《へい》や門は焼けて本堂は残っていた。

 この大火が方附《かたづ》いてから、あの本願寺の門の前を通ると、駒形堂が真直に見えました。そうして、大河《おおかわ》の帆掛け舟が「そんな大火があったかい」といったように静かに滑《すべ》って行くのが見えました。
 かくて、浅草は落寞《らくばく》たる年の瀬を越し、淋しい初春を迎えたことであった。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:しだひろし
2006年2月14日作成
2006年6月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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