上る)。続いて父も屋根に上り、さらに網戸を大神宮の拝殿へ掛け渡して逃げ道を作りました。
「さあ、これで、もう、大丈夫だ。此所で一気息《ひといき》吐《つ》こうじゃないか」
 父はさも安堵《あんど》したような顔をして私を見ながらいいました。私は、父の声を聞きながら、荷物の番をしていた万年屋の方を向いて見ました。すると、万年屋の二階の雨戸が二、三枚、朱《あけ》に染まった虚空《こくう》の中へ、紙片《かみきれ》か何んぞのようにひらひらと舞い上がりました。と、雨戸のはずれた中から真黒の烟《けむり》がどっと出る。かと思うと、今度は真紅の焔《ほのお》が渦を巻いて吹き出しました。
「お父《とっ》さん。万年屋が……」
と、いっているうち、見る見る一面の火となってしまいました。
 私はこの時仕事師のいった言葉を思い出し、もう少しぐつぐつしていようものなら……と思わず身体が震えました。

 私たちは、床店の屋根の上で、暫く火事の様子を見ていました。急に安心をした故《せい》か、この時初めて恐ろしい風だということに気が附きました。それまでは全く夢中でした。
 それから、今日《こんにち》でもハッキリ記憶をしておりま
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