楊弓場《ようきゅうば》が並んでいる。その後が田圃です。ちょうど観音堂の真後ろに向って田圃を距《へだ》てて六郷《ろくごう》という大名の邸宅があった。そのも一つ先になると、浅草|溜《だめ》といって不浄の別荘地――これは伝馬町《でんまちょう》の牢屋で病気に罹《かか》ったものを下げる不浄な世界――そのお隣りが不夜城の吉原です。溜《ため》に寄った方が水道尻《すいどうじり》、日本堤から折れて這入《はい》ると大門《おおもん》、大江戸のこれは北方に当る故|北国《ほっこく》といった。
 それから雷門に向って左の方は広小路《ひろこうじ》です。その広小路の区域が狭隘《きょうあい》になった辺から田原町《たわらまち》になる。それを出ると本願寺の東門《ひがしもん》がある。まず雷門を中心にした浅草の区域はざっとこういう風であった。
 私はまだ子供の事とて、師匠の家の走り使いなどに、この界隈《かいわい》を朝夕に往復し、町から町、店から店と頑是《がんぜ》もなく観《み》て歩いたもの、今日のように電車などあるわけのものでなく、歩いて行って歩いて帰ることでありますから、その頃の景物がまことに明瞭《はっきり》と、よく、今も記憶
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