八幡町、森田町、片町《かたまち》、須賀町《すがちょう》(その頃は天王寺ともいった)、茅町《かやちょう》、代地、左衛門河岸《さえもんがし》(左衛門河岸の右を石切《いしきり》河岸という。名人|是真《ぜしん》翁の住居があった)、浅草御門という順序となる。観音堂から此所までは十八町の道程《みちのり》です。
観音堂から堂へ向って右手の方は、馬道《うまみち》、それから田町《たまち》、田町を突き当ると日本堤《にほんづつみ》の吉原土手《よしわらどて》となる。雷門に向って右が吾妻橋《あずまばし》、橋と門との間が花川戸、花川戸を通り抜けると山《やま》の宿《しゅく》で、それから山谷《さんや》、例の山谷堀のある所です。それを越えると浅草町で、それからは家がなくなってお仕置場《しおきば》の小塚原《こづかっぱら》……千住《せんじゅ》となります。
花川戸の山の宿から逆に後に戻って馬道へ出ようという間に猿若町《さるわかちょう》がある。此所に三芝居が揃っていた。
観音堂に向って左は境内で、淡島《あわしま》のお宮、花やしき、それを抜けると浅草|田圃《たんぼ》で一面の青田であった。
観音堂の後ろがまたずっと境内で、
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング