幕末維新懐古談
彫刻修行のはなし
高村光雲

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)稽古《けいこ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十二|神将《じんしょう》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦童子《せいたかどうじ》
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 早速彫らされることになる――
 この話はしにくい。が、まず大体を話すとすると、最初は「割り物」というものを稽古《けいこ》する。これはいろいろの紋様を平面の板に彫るので工字紋《こうじもん》、麻の葉、七宝、雷紋《らいもん》のような模様を割り出して彫って行く。これは道具を切らすまでの手続き。それが満足に出来るようになると、今度は大黒《だいこく》の顔です。これがなかなか難儀であって、木の先へ大黒天の顔を彫って行くのであるが、円満福徳であるべきはずの面相が馬鹿に貧相になったり、笑ったようにと思ってやると、かえって泣いたような顔になる。なかなか旨《うま》く行かない。繰り返し繰り返し、旨く行くまで彫らされる。彫るものの身になると、真《まこと》に辛《つら》い。肥えさせればぼてるし、瘠《や》せさせれば貧弱になる。思うようには到底《とても》ならないのを、根気よく毎日毎晩コツコツとやっている中《うち》に、どうやら、おしまいには大黒様らしいものが出来て来ます。
 と、今度は蛭子《えびす》様――これは前に大黒の稽古が積んで経験があるから、いくらか形もつく。大黒が十のものなら五つで旨く行って、まずそれでお清書《せいしょ》は上がるのです。
 すると、三番目の稽古に掛かるのが不動様の三尊である。不動様は今日でもそうであるが、その頃は、一層|成田《なりた》の不動様が盛んであったもので、不動の信者が多い所から自然不動様が流行《はや》っている。不動様はまず矜羯羅童子《こんがらどうじ》から始めます。これは立像《りゅうぞう》で、手に蓮《はちす》を持っている。次が制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦童子《せいたかどうじ》、岩に腰を掛け、片脚《かたあし》を揚げ、片脚を下げ、捻《ねじ》り棒を持っている。この二体が出来て来ると、次は本体の不動明王を彫るのです。
 次は三体に対する岩を彫る。次は火焔《かえん》という順序で段々と攻めて行くのである。この不動様の三尊を彫り上げるということは彫刻の稽古としては誠に当を得たものであって、この稽古中に腕もめきめき上がって行くのです。それはそのはずであって、この三体の中《うち》には仏の種々相が含まれているからです。矜羯羅が柔和で立像、制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦が岩へ「踏み下げ」て忿怒《ふんぬ》の相、不動の本体は安座《あんざ》であって、片手が剣、片手が縛縄《ばくなわ》、天地眼《てんちがん》で、岩がある。岩の中央に滝、すなわち水の形を示している。後は火焔で火の形である。ですから、これで立像も分る。「踏み下げ」も分る。安坐も会得《えとく》する。柔和忿怒の相から水火の形という風に諸々の形象が含まれているのであるから、調法というはおかしいが、材料としてはまことに適当であります。しかし、この不動三尊を纏《まと》め上げるには容易なことではなく、三、四年の歳月は経《た》っていて、私の年齢も、もう十六、七になっている。話しではいかにも速いが脳《あたま》や腕はそう速く進むものでない。修行盛りのこと故、一心不乱となって勉強をしたものです。

 さて、それから仏師となるには、仏師一通りのことは出来ねばなりません。まずその一通りというところを話して行くと、第一に如来《にょらい》です。
 如来は、如実の道に乗じて、来《きた》って正覚《しょうがく》を成す、とある通り仏の最上美称であって、阿弥陀《あみだ》、釈迦《しゃか》、薬師《やくし》、大日《だいにち》などをいうのであります。如来が一番むずかしいものとなっている。仏工は古来より阿弥陀如来の立像と、地蔵菩薩《じぞうぼさつ》の立像をむつかしい物の東西の大関に例《たと》えてある。
 次に菩薩、これは大心ありて仏道に入る義にて、すなわち仏の次に位する称号。地蔵、観音、勢至《せいし》、文殊《もんじゅ》、普賢《ふげん》、虚空蔵《こくぞう》などある。それから天部《てんぶ》という。これは梵天《ぼんてん》、帝釈《たいしゃく》、弁天、吉祥天《きっしょうてん》等。次は怒り物といって忿怒の形相をした五大尊、四天、十二|神将《じんしょう》の如き仏体をいう。諸仏の守護神です。それから僧分の肖像、たとえば弘法大師、日蓮上人《にちれんしょうにん》のような僧体である。一々話して行けば実に数限りもないことです。余は略します。

 それから、また、本体に附属した後光がある。船《ふな》後光の正式は飛天光という。天人と迦陵頻伽《かりょうびんが》、雲を以《もっ》て後光の形をなす。その他|雲輪光《うんりんこう》、輪後光、籤《ひご》の光明(これは来迎仏《らいごうぶつ》などに附けるもの)等で各々|真行草《しんぎょうそう》があります。余は略す。
 台坐には、十一坐、九重《ここのえ》坐、七重《ななえ》坐、蓮坐、荷葉《かよう》坐、多羅葉《たらよう》坐、岩《いわ》坐、雲坐、須弥《しゅみ》坐、獅子吼《ししく》坐、円坐、雷盤《らいばん》坐等で、壇には護摩壇、須弥壇、円壇等がある。
 天蓋《てんがい》には、瓔珞《ようらく》、羅網《らもう》、花鬘《けまん》、幢旛《どうばん》、仏殿旛等。
 厨子《ずし》は、木瓜《ぼけ》厨子、正念《しょうねん》厨子、丸厨子(これは聖天様を入れる)、角厨子、春日《かすが》厨子、鳳輦《ほうれん》形、宮殿《くうでん》形等。
 その他、なお、舎利塔、位牌、如意、持蓮《じれん》、柄香炉《えこうろ》、常花《とこはな》、鈴《れい》、五鈷《ごこ》、三鈷、独鈷《とっこ》、金剛盤《こんごうばん》、輪棒、羯麿《かつま》、馨架《けいか》、雲板《うんばん》、魚板《ぎょばん》、木魚《もくぎょ》など、余は略します。

 前陳の各種を製作するにつき、これに附属する飾り金物《かなもの》、塗り、金箔《きんぱく》、消粉《けしこな》、彩色《さいしき》等の善悪《よしあし》を見分ける鑑識も必要であります。
 まず「飾り」であるが、飾りには、金|鍍金《めっき》と「消し差し」の二つ。箔を焼きつけたものが鍍金で、消粉を焼きつけるのが「消し差し」です。
 金物の彫りの方では、唐草《からくさ》の地彫《じぼ》り、唐草彫り、蔓《つる》彫り、コックイ(極印《ごくいん》)蔓などで地はいずれも七子《ななこ》です。
 塗り色にも種々ある。第一が黒の蝋色《ろういろ》である。それから、朱、青漆《あおうるし》、朱うるみ[#「うるみ」に傍点]、ベニガラうるみ[#「うるみ」に傍点]、金|白檀《びゃくだん》塗り、梨子地《なしじ》塗りなど。梨子地には、焼金《やききん》、小判《こばん》、銀、錫《すず》、鉛(この類は梨子地の材料で金と銀とはちょっと見て分り兼ねる)。
 塗りにも、塗り方は、堅地《かたじ》と泥地《どろじ》とあって、堅地は砥粉地《とぎこじ》と桐粉地《きりこじ》とあり、いずれも研《と》いで下地《したじ》を仕上げるもの。上塗《うわぬ》りは何度も塗って研磨して仕上げるものです。泥地は胡粉《ごふん》と膠《にかわ》で下地を仕上げ、漆で塗ったまま仕上げ、研がないのです。泥地でも上物《じょうもの》は中塗りをします。
 箔にも種類があって、一つの製品を金にするにも金箔を使うのと、同じ金であっても、金粉を蒔《ま》いて金にするのと二色《ふたいろ》ある。
 箔についても、濃色《こいろ》があり、色吉《いろよし》がある。中色《なかいろ》、青箔、常色《つねいろ》等がある。その濃色は金の位でいうとヤキ金《きん》に当る。色吉が小判で、十八金位に当る。それから段々十二金、九金というように銀の割が余計になって来る。
 箔の大きさは普通三寸三分、三寸七分、四寸である。厚さにも二枚|掛《が》け、三枚掛けと色々ある。これは私が仏師になった時代のことだが、今日《こんにち》ではいろいろの大きさの箔が出来ていて調法になっています。
 彩色にも、いろいろあります。極彩色、生け彩色、俗にいう桐油《とうゆ》彩色など。その彩色に属するもので、細金《ほそがね》というのがある。これは細金で模様を置くのである。描《か》くとはいえない。それから金泥で細金の如く模様を描くのがあります。
 極彩色はやっぱり絵画と同じ行き方で、胡粉で白地に模様を置き上げ、金にする所は金にして彩色にかかる。生け彩色は一旦《いったん》塗って金箔を置いて、見られるようになった時、牡丹《ぼたん》なら牡丹の色をさす[#「さす」に傍点]。葉は葉で彩《いろど》り、金を生かして、彩色をよいほどに配して行く。これはなかなか好い工夫のものです。
 桐油彩色は、雨にぬれても脱落《はげ》ないように、密陀油《みつだゆ》に色を割って、赤、青と胡粉を割ってやるのです。余り冴《さ》えないものだが、外廻りの雨の掛かる所、殿堂なら外廓に用いられる。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
   1997(平成9)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:山田芳美
校正:土屋隆
2006年1月15日作成
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終わり
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