ますと、
「あんなもんじゃないよ。あれは、ほりもの[#「ほりもの」に傍点]大工で、宮彫《みやほ》りというんだが、俺のいう高村東雲先生の方は、それあ、もっと上品なものなんだ。仏様だの、置き物だの、手間《てま》の掛かった、品《ひん》の好い、本当の彫物《ちょうこく》をこしらえるんで、あんな、稲荷町の荒っぽいものとは訳が違うんだ。そりゃ上等のものなんだ。だからお前、ただの大工や宮師《みやし》なんかとは訳が違って素晴らしいんだよ。光坊、お前やる気なら、俺がお前のお父さんに話してやる。どっちも知った顔だから、俺が仲へ這入ってやる」
こう安さんはしきりと私に勧めます所から、私も何時《いつ》かその気になって、
「それじゃア小父さん、私は大工よりも彫刻師になるよ」と承知をしました。
そこで、気の逸《はや》い安床は、夜分《やぶん》、仕事をしまってから、私の父を訪《たず》ねて参り、時に兼さん、これこれと始終のことをまず話し、それから、
「その東雲という人は、お前の家の隣りにいた人で、それ、日本橋通り一丁目の須原屋茂兵衛《すはらやもへえ》の出版した『江戸名所|図会《ずえ》』を専門に摺《す》った人で、奥村藤兵衛さんの悴《せがれ》の藤次郎さん、……これがその東雲という方なんで、今では浅草|諏訪町《すわちょう》に立派な家を構え……」と、キサクな調子で、小肥《こぶと》りの身体《からだ》を乗り出して話すものでありますから、父も心動き、
「聞けば、その東雲先生は、この同じ長屋に生まれた人だというし、お前とは親しいお方というから、それでは一つその彫刻の方へお願い申そうか。話の決まった大工の方は親類のことでかえって好いと思ったが、また考えて見ると、奉公先の身内なのは事によってはおもしろくないかも知れない。折角お前さんもそういって勧めてくれること故、これは一つお願い申すことにしよう。だが、まあ当人の志が何よりだから悴に聞いて見ましょう」というと、「そのことなら本人はもう先刻承知のことだ。善は急げだ、髪も結っていることだし、早速それでは明日《あす》俺が伴《つ》れて行こう」
と、ここで話が決まりました。
この安さんという人は、その頃四十格好で、気性の至極面白い世話好きの人でありましたから、早速、先方へその話をして、翌日、私を東雲師匠の宅へ伴れて行ってくれました。
それが、ちょうど私の十二歳の春、文久
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