、吹聴は五丈八尺という口上、一丈だけさばを読んで奈良の大仏と同格にしてしまいました。そこで口上看板を仮名垣魯文先生に頼み、立派な枠をつけ、花を周囲に飾って高く掲げました。こんな興行物的の方は友達の方が受持ちでやったのでありました。
 それから、胎内の方は野見の親父さんの受持ちで、切舞台には閻魔の踊りを見せようという趣向。そこでまた私は閻魔の顔をこしらえさせられるなど自分の仕事をそっちのけにして忙しいことで、エンマの顔は張子に抜いてぐるぐる目玉を動かすような仕掛けにして、中へ野見の老人が入って仕草をするという騒ぎ……一方、古物展覧の方も古代な布片《きれ》とか仏像のような、なんでも時代がついて、曰く因縁のありそうなものを並べ、鳴戸のお弓の涙などと子供だましでなく、大人でも感服しそうな因縁書などを野見の老人がやって、一切、内外共に出来上がりまして、いよいよ蓋を明けましたのが確か五月の六日……五日の節句という目論見であったが、間に合わず、六日になったように記憶しております。
 この興行物は「見流しもの」といって、ずっと見て通って、見た客は追い出してしまうので、見世物としては大勢を入れるに都合の
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