」池の写生に出かけられた。大宮方面の案内者は、深沢弥作といって、親切な男であったことを附記する。
 富士の四合目から以上を輪切りにすれば、木山に対するいわゆる石山で、イワツメグサ、オンタデなど、薄い髪の毛のような草はあっても、眼にいらず、ただ見上げるばかりの岩石の堆積である。それも熔岩と砂礫の互層や、岩脈のほとばしりを露出して、整然たる成層美を示すところもあるが、多くは手もつけられないほど、砂礫や灰を放擲《ほうてき》したようで、紛雑《ふんざつ》を極めている。その石も巨大なるブッ欠《か》きや、角の取れない切石や、石炭のかすのような「つぶて」で、一個一個としては、咸陽宮《かんようきゅう》の瓦一枚にすら如《し》かないものであるが、これが渾然《こんぜん》として、富士山という創造的合成を築き上げたとき、草も、木も、人も、室も、この中へと融合同化してしまう。そして、山体の完備を欠損するかの如くに見える放射状の側火山も、同心円の御中道も、輻射状の谷沢も、レイニーア山や、フッド山が、氷河を山頂、または山側から放流して、山の皮膚ともなり、山それ自体の一部ともなってしまうように、かえって創造的合成の効果を
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