たりを見るような天空深淵を、下から上へとのぞかせている。建物が高くなるほど、富士が見えなくなり、交通が便利で、東京富士間の距離が短縮されるほど、市民の心から富士は切り取られて、さらしッ放しの無縁塔となってしまった。もはや都市経営論者からも、富士山の眺めを取り入れることによって、日本国の首府としての都会美を、高調する計画も聞かされなくなった。ゼネヴァには、アルプスの第一高峰、モン・ブランを遥望《ようぼう》するところから、モン・ブラン通りの町名ありと聞くものから、今日の東京では駒込の富士前町だの、麹町の富士見町だのという名を保存することによって、富士山が市民の胸に蘇生しては来ないようだ。
 さもあらばあれ、この山の強さは、依然我胸を圧す。この山の美しさは、恍焉《こうえん》として私を蠱惑《こわく》する。何世紀も前の過去から刻みつけられた印象は、都会という大なる集団の上にも、不可拭《ふかしょく》の焼印を押していなければならないはずだ。東京市の大きい美しさは、フッド火山を有するポートランド市の如く、レイニーア火山を高聳《こうしょう》させるシアトル市の如く、富士山を西の半空に、君臨させるところに存
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