神社仏閣の御手洗《みたらし》にかけてある奉納手ぬぐいを、至るところの休み茶屋や、室で見ることである。多くは講中の名を記したものだが、藍、黄、白、黒、柿色などで染抜いた手拭が、秋林の朽ち葉落葉の紛然雑然たるが如く、雲の飛ぶ大空の下、簡単にして大まかなる、富士の大斜線に、砂の如く点ずるところの、室の軒端《のきば》に飜《ひるがえ》っているのは、東海道五十三次の賑わいを、眼前に見る如く、江戸時代以来、伝統の敬神風俗を、この天涯の一角に保存する如く、浮世絵式風景を、日本の一特色として再現せられたる如くに、新帰朝者の眼に映じたのであった。その中で、小御岳の小舎で、亡友、曾我部一紅《そがべいっこう》追悼登山の納め手拭を見出した時、私の眼にうるみを覚えた。富士登山家として、富士に関する図画典籍の大蒐集家として、君は疑いもなく第一人者であった。私の米国|寄寓《きぐう》中、故国に大震災があった。その時君は、貴重なる蒐集品を救いだすため、火宅へ取って返したまま、永久に不帰の人となったそうだ。君の肖像と事蹟とは、米国の親友お札博士の名で日本に知られているところの、スタア氏の著書『フジヤマ』(英文単行本)によっ
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