いるに似ず、亭々として高く、すらりと延び上っている自然のままの、気高さに打たれる。路は次第に下って、多分三合目位だろうと思われる高度の、大沢の小舎に着く。御中道に昔は小舎がなくて、参詣の道者が難渋するため、そのうちの難所たる大沢に、お助け小舎を置いたそうだが、それは疾《と》くにつぶれて、今のは粗末ながら、普通の旅人宿めいた小舎である。しかし元来、御中道めぐりは、信神の道者を主とするので、近来盛んになった女人の登山も、ここへはほとんど影を見せず、森林と絶壁と深谷とで、四周を切り離されているから、山中の室《むろ》としてのさびが、心ゆくばかり味わわれる。主人は署名帳を出して、私に物書けというから、三、四行したためた。私は登山すべく、あまりに老いたとは思っていないが、まだ登るべき多くの山を控えているから、恐らく生涯に二度とここまで来なかろうと思う。芭蕪翁のわが詠み捨てた句は、一つとして辞世《じせい》ならざるはなしの徹底芸術精神は、学んで到り得るにあらねども、一|順礼《じゅんれい》の最後の足跡までに、印《しるし》をつけておいた。
 ここに限らず、富士の室は風俗史的に見て、欧米諸国の山小舎に、ちょ
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