黒砂の道は、去年ながらの落葉を埋《う》めこんで、足障《あしざわ》りが柔かく、陰森なる喬木林から隠顕する富士は赤ッちゃけた焼土で、釈迦《しゃか》の割石《わりいし》と富士山中の第二高点、見ようによっては、剣ヶ峰より高く見える白山ヶ岳の危岩が仰がれ、そのくぼみには、シャモニイの氷河の古典的なるが如くに、富士の万年雪を、古典的にしたところの残雪が、べっとりと塗りこめられて光っている。これも貞秀の錦絵に「牛が窪、四時雪あり」とあるから、昔ながらの雪と見えるが、今ではかえって、ここの万年雪を、人が言わないようだ。それと共に、もし富士山に北米レイニーア火山のような氷河が放射していたならば、今の白石楠花の茂りは押し流されて見るべくもないから、私は現在の万年雪で満足し、花と雪を併せ有することを悦びとしたい。
 それからまた、私はこのたびの登山が、七月から八月へかけてであったことを悦んでいる。十月では野にこの青味がない、五月では山にこの花がない。今は青い草と花があって、完全に山と裾野の美を示している。沈黙してたたずんでいると、鶯《うぐいす》鳴き、ホトトギス鳴き、カケスが鳴き、眼覚めた鳥が、一せいに声を
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