のは、大宮口であるが、つまるところ村山口であったのだ。私がこの道を取って登山したのは約十七、八年前であったが、その当時、既に衰微して、荒村行を賦《ふ》するに恰好《かっこう》な題目であったが、まだしも白衣の道者も来れば、御師《おし》も数軒は残っていたが、今度来て聞くと哀《かな》しいかな、村山では御師の家も退転してしまい、古道は木こりや炭焼きが通うばかりで、道路も見分かぬまでに荒廃に任せているという。私が知ってからでも、その当時新道なるものが出来て、仏坂を経てカケス畑に出で、馬返しから四合半で古道に合したものだが、これも長くは続かず、私たちの今度取った路は最新のもので、二合目で前の新道なるものを併せ、四合目で村山からの古道を合せている。富士のようなむきだしの石山で、しかも懐《ふところ》の深くない山ですら、道路の変遷と盛衰はこのように烈しい。
アルプスにも似た例がある。近代氷河学の祖なるルイ・アガシイ先生は、旧記を調査して、偶々《たまたま》第十六世紀の宗教戦時代に、スイスの Valais の村民が他宗派の圧迫を蒙《こうむ》り、子供たちを引き連れ、Aletsch 氷河の遠方まで、Viesch
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