、町から幾分か離れて、大裾野のひろがり始めるところに存するだけ、構図の取り方が一層大きく、三里の草原を隔てて、富士につながる奔放さは、位置の取り方が一倍と広く、社殿そのものも、天空高く浄《きよ》められたる久遠《くおん》の像と、女神の端厳相《たんげんそう》を仮現《かげん》する山の美しさを、十分意図にいれ、裏門からの参詣道を、これに南面させて、人類の恭敬を表示したところの、信条的構造と見られる、建築の手法、細故《さいこ》のテクニックにわたっての是非は知らず、楼門廻廊の直線と曲線が、あるいは並び下り、あるいは起き伏すうねりにつれて、丹碧《たんぺき》剥落《はくらく》したりとはいえ、燦然《さんぜん》たり、赫焉《かくえん》たるに対面して、私はここでもくりかえしていう、「日本の山は、名工の建築があるからいいなあ」と。
ところで一体、富士の神を浅間《せんげん》と呼ぶのは、どうしたわけであろうか。富士の権現は信濃の国|浅間《あさま》大神と、一神両座の垂迹《すいじゃく》と信ぜられていたところから、浅間菩薩《せんげんぼさつ》ともいい、富士|浅間《せんげん》菩薩とも呼んだりしたが、本元の浅間《あさま》山の方
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