」という歌は、余りに言い古されているとしても、江戸から富士を切り捨てた絵本や、錦絵《にしきえ》や、名所|図会《ずえ》が、いまだかつて存在したであろうか。
 私のいる室は、一石《いっこく》橋を眼下に瞰下《みおろ》しているが、江戸時代に、その一石橋の上に立って見廻すと、南から北へ架け渡す長さ二十八間の、欄干《らんかん》擬宝珠《ぎぼうしゅ》の日本橋、本丸の大手から、本町への出口を控えた門があって、東詰《ひがしづめ》に高札を立ててあった常磐《ときわ》橋、河岸から大名屋敷へつづいて、火の見やぐらの高く建っていた呉服橋、そこから鍛冶《かじ》橋、江戸橋と見わたして、はては細川侯邸の通りから、常磐橋の方へと渡る道三《どうさん》橋、も一つ先の銭瓶《ぜにかめ》橋までも、一と目に綜合して見るところから、八つ見橋の名があったそうだが、その屈折した河岸景色を整調するように、遥か西に、目の覚めるような白玉の高御座《たかみくら》をすえたのが、富士山であったことは、初代|一立斎広重《いちりゅうさいひろしげ》の『絵本江戸土産』初篇開巻に掲出せられて、大江戸の代表的風光として、知られていたのであった。私が二、三日前、ふと
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