は躍り上るように喜んだ、ほんとうに、久しく尋ねあぐんでいたのだ。雲隠れする最後の一角まで、追い詰めるように視線を投げた。
 ここで、私が思い浮べたのは、北米ポートランド市の、シチイ・パークから遠望した、フッド火山の、においこぼるる白無垢《しろむく》小袖《こそで》の、ろうたけた姿であった。十幾階の角形の建築物や、工場の煙突の上に、白蝶の翼をひろげたように、雪の粉《こ》を吹いて、遠くはこんもりと黒く茂った森、柔かい緑の絨氈《じゅうたん》を畝《う》ねらせる水成岩の丘陵、幾筋かの厚襟《あつえり》をかき合せたカスケード高原の上に、裳裾《もすそ》を引くこと長く、神々しくそそり立つ姿であった。そして直ぐ連想したことは、ポートランド市民の、フッド火山におけるよりも、または、タコマ市や、シャトル市[#「シャトル市」はママ]の人々が、日本人によってタコマ富士と呼ばれているところの、レイニーア大火山を崇拝しているよりも、この東京が、かつて江戸と呼ばれたころには富士山が「自分たちの山」として崇《あが》められていたことであった。少くとも、今のように忘れられていなかったことだ。太田道灌の「富士の高根を軒端にぞ見る
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