《おどろ》いて立ち上った、霧がいつの間にか深くなっていた、油紙は雨に遇ったように湿めっている、冷《ひ》やりと手に触れたので眼が醒める。

    山の肌(間の岳の雪田に到る)

 朝起きて見ると、霧がまだ深い、西の方がまだしも霽《は》れていて、うすくはあるが、明る味がさす、東天の山には、霧が立て罩《こ》めて、一行はこの方面に盲目になった、日は霧の中をいつの間にか昇っている、冷たい白い月のように、ぼんやりとして、錫《すず》色の円い輪が、空の中ほどを彷徨《さまよ》っている、輪の周囲《まわり》は、ただ混沌として一点の光輝も放たない、霧の底には、平原がある、平原の面《プレーン》は皸《ひび》が割れたようになって、銀白の川が、閃めいている、甲府平原は、深い水の中の藻のようにかすんで、蒼く揺《ゆら》めいているばかりだ。
 この連日、峰から峰を伝わっているので、水がないから、顔も洗われない、焚火で髭《ひげ》を焼いたり、その焚火の煤煙や、偃松の脂《やに》で、手も頬も黒くなったり、誰を見ても、化かされたような顔をしている、谷へ下りたい、早く谷へ下りて、自由に奔放する水音が聞えたら、まあどんなに愉快だろう――谷川の流れる末に、巣くう人里などは、考えるさえ、まだ遠いのである。
 二等三角点に添って、西へと向き、見上げるような、岩の障壁を攀《よ》じると、急に屏風が失くなったようになって、北の方から、待ち構えていた冷たい風が吹きつけて来る、強い風ではないけれど、遠くは北の方、飛騨山脈や、近くは西の方木曾山脈の山々の、雪や氷の砥石《といし》に、風の歯は砥《と》がれて、鋭くなり、冷たさがいや増して、霧を追いまくり、かつ追いかけて、我らの頬に噛みつくのである、我らは吹き込む風の中心になったようで、その冷たさと、痛さとに慄《ふる》えながらも、山稜《リッジ》を伝わって行く。岩は鋼鉄のように硬くなりながらも、イワベンケイ、ミヤマダイコンソウ、ムカゴトラノオなど、黄紫のやさしい花を、点々とその窪洞《うろ》に填《う》めながら、ギザギザに尖っている輪廓を、無数に空に投げ掛けている。
 西へ西へと、伝わって、一山超えると、また一山が、鋭い鑿《のみ》で穿《く》りぬいたように、大曲りに蜿《う》ねった山稜《リッジ》を、連鎖にして、その果に突立っている、仰ぐと、西の天は雲が三万尺も高く、堆《うずたか》くなって、その隙間には湖水のように澄徹した碧空が、一筋横に入っている、中農鳥とおぼしき一峰を超えると、また一峰がある、日が昇るに従って、雲や霧は、岩と空の結び目から、次第に離れて消えて行く、葉を一杯に荷った楡《にれ》の樹のような積雲は、方々が頽《くず》れて、谷底へと揺落してしまう、そうしてその分身が、水陸両棲の爬行《はこう》動物のように、岩を蜿ねり、谷に下って、見えなくなる。
 空は高くなって、四方は壮大な円形劇場《アムフィセアタア》のように開展する……出た……出た……木曾御嶽は、腰から上、全容を現わした、木曾駒ヶ岳も近くに立ち上った、方々から頭を白く削った稜錐状《ピラミダル》の山々が、波のように寄せて来た。
 脚下の谷へ追い落された水蒸気の団々は、反曲の度を高めて、背を山に冷やさせ、顔を日光に向けて、ふわりと立って飛ぶ、それが長く繋《つな》がって、日を截《た》ち切ったかと思うとき、異常な光がチラリと岩角に落ちた、ふと見上げると、円い虹のようなものが、虚空の中に二輪も、三輪も結ばれた、その輪の中に、首を貫ぬいて五、六丈もあろうかと思うような、黒い巨人が、ヌーッと立っている、富士登りの道者のいう、三尊の阿弥陀の来迎はこれだ、侏儒《いっすんぼうし》のような人間が、天空に映像されたときに、このような巨人となったのだ、我らが手を挙げると、向うでも挙げる、金剛杖を横縦《よこたて》に振り廻わすと、空の中でも十字架を切る。暁を思わせるうす紅色で、雨気を含んだ虚空に、浸み透るように、暈《ぼか》して描かれた自分たちの印画は、この大なる空間を跨《また》いで、谷間へと消え落ちた。
 この山の上で、朝から夕立に遇っては堪まらないと、多年山登りの経験から気がついて、呆れ顔の導者を促して路を急ぐ、岩角を上ったり、下ったり、偃松や黄花石楠花の間を転がるようにして走ったが、その間に幻影は消え消えながら、三度出た、しかし心配ほどもなく、霧は奇麗《きれい》に拭われて、雨にはならなかった。
 間《あい》の岳《たけ》は大断崖を隔てて北に聳えている、北岳はここからは見えない、峻急な山頂の岩壁を峰伝いに北に向けて直下する。間の岳はもう眼の前に立っている、山の空気が稀薄で透明になっているから、それが近いように見えていて、歩くに遠いのが解る。
 雪で釉薬《つやぐすり》をかけたように光る遠くの山々は、桔梗《ききょう》色に冴《さ》え渡った空の下で、互いにその何百万年来の、荒《すさ》んだ顔を見合せた、今朝になって始めて見た顔だ、或るものは牛乳の皮のように、凝《こお》った雪を被《かず》いている、或るものは細長い雪の紐《ひも》で、腹の中を結えている、そうして尖鋭の岩を歯のように黒く露わして、ニッとうす気味悪く笑っている。
 目的《めあて》は間の岳にある、残んの雪は、足許の岩壁に白い斑《ぶち》を入れている、偃松はその間に寸青を点じている、東天の富士山を始めて分明に見ながら、岩や松を踏み越えて、下りると、誰が寝泊したのか、野営地の跡が、二カ所あった、石を畳み上げて、竈《かまど》が拵えてあるので、それと知れたのだ、偃松の薪《たきぎ》が、半分焦げて、二、三本転がっている。
 尾根を伝わって、東に富士山、西に木曾の御嶽を見ながら行くと、また野営地があった、そこはちょっとした草原になっていた、雪解の水で湿《しめ》っているところへ、信濃金梅《しなのきんばい》の、黄色な花の大輪が、春の野に見る蒲公英《たんぽぽ》のように咲いている、アルプスの高山植物を、代表しているところから、アルプスの旅客が、必ず土産に持ちかえるものにしてあるエーデルワイス(深山薄雪草《みやまうすゆきそう》)は銀白の柔毛《にこげ》を簇《むら》がらせて、同族の高根薄雪草《たかねうすゆきそう》や、または赤紫色の濃い芹葉塩釜《せりばしおがま》、四葉塩釜《よつばしおがま》などと交って、乾燥した礫《こいし》だらけの窪地《くぼち》に美しい色彩を流している。
 振り返れば、間の岳(赤石山脈)や、悪沢岳の間から、赤石山が見える、そうして千枚沢の一支脈は、兀々《ごつごつ》した石の翼をひろげて、自分たちの一行を、遥かに包もうとしている。
 東へ方向を取って、また北へと折れる、右にも左にも、雪田がある、ここから近く見た間の岳は、破れた石を以て、肉としている、おそらくその石を悉《ことごと》く除けば、間の岳は零《ゼロ》になるであろう、その石だ、老人の皺のように山の膚に筋を漲《みなぎ》らせているのも、古衣の襞《ひだ》のように、スレスレに切れたり、ボロボロに崩れたりしているのも、この石だ、それを針線《はりがね》のように、偃松が幾箇処も縫っている。
 急峻な登りを行く、雲は赤石山を包み隠して、西南にその連嶺の西河内岳の一角を現わした、さすがに富士山のみは、深くまつわる山を踏み踰《こ》えて、ひとり高く半天に立っている。
 石の急壁を登りかけていると、雷鳥が一羽、ちょこちょこと前を歩いている、晃平が、狙いをつけて一発放したが、禽《とり》は横に逸《そ》れて、截《き》られた羽が、動揺した空気に白く舞った、一行手取りにするつもりで、暫く追いかけて見たが、掌中の物にはならなかった。
 疲労の足を引き擦《ず》って、石壁の上に登りついたとき、眼は先ず晶々|粲々《さんさん》として、碧空に輝きわたる大雪田、海抜三千百八十九|米突《メートル》の高頂から放射して、細胞のような小粒の雪が、半ば結晶し、半ば融けて、大気を含んだ、透明の泡が、岩の影に紫色を翳《かざ》しているのに、眩《まば》ゆくなるばかりに駭《おどろ》いた、南方八月の雪! 白峰をして白からしめた雪! 我ら一行の手は、初めてこの秘められたる、白い肌に触れたのである。

    羚羊・長之助草(北岳の絶巓に登る記)

 それから尾根伝いに、間の岳の絶頂まで這い上り、三等三角測量標の下に立った、北西に駒ヶ岳(甲斐)の白い頭が、眼前の鋭い三稜形をしている北岳に、挟みつけられて見える、霧が来て散った。
 この附近は偃松《はいまつ》の原でなければ、暗礁のような岩角が立っていて、高山植物が点じている、なお北岳を見ていると、東の谷、西の谷、北の谷から霧が吹いて来て、その裾は深谷の方に布《し》きながら、頂上を匝《め》ぐって、渦を巻いている。西北の仙丈岳を前衛として、駒ヶ岳、鋸岳、木曾駒山脈の切れ間に谷が多いので、このように水蒸気も多く、そうしてこの山を目がけて、吹きつけるのであろう。
 大雪田の石の峰を超えて、三角点の下に来た、木曾山脈を西に控えて、その間の高原を、天竜川が白く流れ、仙丈岳は渓谷を隔てて、その頂上の、噴火口と擬《まが》いそうな欠けたところが、大屋根の破風《はふ》のように聳《そび》えて、霧を吐く窓になっている。駒ヶ岳の白い頭は、白崩《しろくずれ》山の名を空しくせずに、白く禿《は》げて光っている。
 間の岳の峰から、北岳まで尾根が繋《つな》がっていることは、ここで初めて確かめられた、我が三角測量標の下には、窪地があって、そこには雪田が白く塊まっている、一丁ほども歩いたかと思うと、また雪田がある、築土《ついじ》の塀の蔭に、消え残った春の雪のようだが、分量は遥かに多い。
 石の壁は南方から連なって、人の歩く路を窄《せば》めている、もうこの辺からは、雪田が幾筋となく谷へと繋がっている、高頭君の説明するところによると、日本北アルプス中の白馬岳の雪とは、比べものにならないが、十月頃の白馬岳なら、この位なものであろうか、ということである、一体が暖かい南アルプスに、このように雪が多いのは、未だ山上では、春であるからであろう。
 間の岳から北岳までは、北へ北へと、駿河甲斐の国境を、岩石の障壁が頽《なだ》れをうって、肩下りに走っている、その峰は皆剣のように尖れる岩石である、麻の草鞋《わらじ》が、ゴリゴリと、その切ッ先に触れて、一本一本麻の糸が引き截られるのが、眼に見るようで、静《しずか》に歩くさえ、砂でも噛み当てたように、ガリガリ音がする、あまり峻《けわ》しいから、迂回しようとして、足を踏み辷《す》べらすと、石の谿《たに》が若葉を敲《たた》く谷風でも起ったように、バサバサと鳴り出して、大きい石や小さい石が、ひた押しに流れて、谷底へと墜落するのもある、中途で石と石と抱き合って、停まってしまうのもある、その石の壁の頂には、偃松が多く、高山植物の中にも、ミヤマオダマキがうす紫の花を簇《むらが》して、岩角に立っているのが、色彩が鮮やかで、こんな寒い雪や氷の、磽※[#「石+角」、第3水準1−89−6]《こうかく》な土地も、深碧の空と対映して、熱帯的《トロピカル》に見えた。
 峰伝いに下って、いよいよ北岳の直下まで来ると、雪田が二ツほどある、長さは二十町もあろう、その雪田の谷底に接触する尖端から、雪が融けて水になって、流れているのもある、この雪田は白馬岳のに、やや匹敵することが出来るが、厚味がそれほどないと、高頭氏は言った、それでもこんな大残雪があって見ると、日本北アルプスのみ、雪の自慢をさせて置けないと追加した。
 ふと後から荷をしょって来た人足どもの、噪《さわ》ぐ声がする、東の峡間に、一頭の羚羊《かもしか》を見つけ出したのだ、なるほど一頭いるわいと気が注《つ》くころ、中村宗義は銃を抱えて、岩蔭を岩蔭をと身を平ッたく伝わって、谷側まで下りた、円く肥えた羚羊は、キョトンとした顔をして考えている、その短い角が碧空に動かずに、シーンと立っている、晃平の采配で、人夫一同は石を上から転がす、シッシッと叫ぶものがある、ホーイ、ホーイ、ホーイと怒鳴《どな》る声がする、羚羊は石の転がり方を冷たく見て、一、二尺ずつ退《す
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