つぎながら、胸まで水にひたつて、漂流する材木を、掻き寄せてゐるのを見るばかりである。
上り船が一隻、三人の船頭が、崖の下をしがみつくやうにして、綱を肩にして引き上げ、一人が棹を弓のように撓《しな》はせて、遅々として水に逆つて来たが、私の乗つてる船と、行き違はうとして、ひどい波におつかぶせられ、向うもこつちも、ヅブ濡れになつて、両方の船が、急な角度で傾斜した、向うの船頭がポツリと黒い点になつて、乱濤の間に小さく立つてゐる、振り返ると、もう船も人も、影も形も見えずに打捨てられた、波は白い生毛のやうに、微かに彫刻した象牙のやうに、柔らかく泡立つて、大石の下の窪みに、逆さに落ちて、渦を巻き、反流を起したかとおもふと、波浪の特質の前進運動を沮められて、船はあふりを喰ひ、一二度振り廻される、「何しろ山室《やまむろ》の滝せえつて、遠州一の難所だあね」と船頭は後で話した。
灘をこえて、水が静かになると、両方の岸を見廻すだけの余裕が出てくる、河原には材木を伐り出す小舎がある、岩石は上流の花崗岩と違つて、小さな褶曲《フオールヂング》や白や褐色の岩脈《ダイク》が、横に帯をしめたやうな、筋を入れたのが、美しく見える。
湯島大屈曲をしてからは、松島から中部《なかつぺ》まで、直下といつてもよかつた、東岸には中部の大村があつて、水楊は河原に、青々と茂つてゐる、裸体に炎天よけの絲楯《いとだて》を衣た人足が、筏を結んでゐる、白壁の土蔵が見える、紺の香のするばかりに、新らしく染め抜いた暖簾をかけた荒物屋が、町に見える、積荷はみんなこゝで揚げてしまつて、水洩れの出来た船底には、棕櫚繩をちぎつて、当てがひ、石で叩きこんで修繕をする。
川は中部の村を、包囲するやうに、北の一角だけを残して、三方を絎《く》け、もう大分開けた河原の中を流れる、「豆こぼし」といふ灘は、水が急なので、二挺の櫂を一つに合せ、船頭二人の力をこめて取り縋るやうにして、漕いだが、それでも東岸には、一髪の道が通じて、旅人が通つてゐるのが、ふり仰がれる、その上に青緑の山は高くそびえ、川は勾配を急に、杉の培養林のある山を匝《めぐ》る、久根《くね》の銅山が見えて、その銅山を中心に生活してゐる人たちの家が、重なり合つて、崖腹に巣を喰つてゐる。
西の渡《と》の簇々《むら/\》とした人家を崖の上に仰いで、船を着けた、満島からこゝまで九里の間を、三時間半。
糀屋《かうじや》といふ旅籠屋に、草鞋を釈《と》いて中食を済ました、天竜川もこゝからは、先づ下流の姿になるので、交通もしげくなり、下り船も、毎日便宜がある、船を乗り替へるため、暫らく川に臨んだ茶屋で、時間を待つてゐると、八反帆を南風に孕ませた上り船が、白地に赤く目じるしを縫ひつけて、二帆三帆と、追つかけ追つかけ、上つて来る、久根《くね》銅山から、銅を積み出すために、来るのだといふ、さうしてその帆には、太平洋の海気と塩分が、一杯に含まれてゐる、南へ来たのだ、太平洋が近くなつたのだ、桔梗色の黒汐が走る八重の海路が、川の出口に横たはつてゐるのも、もう遠くはあるまい、日本アルプスおろしの北風は、冬でももう、この地までは来ない、私は山から遁れた、たしかに遁れた、しかしながら私は、恋々として悲壮の谷なる天竜川の上流を、振り返り、振り返り見ることなくして、次ぎに出る客船には乗れなかつた。
底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
底本の親本:「現代日本文学全集 第36巻」改造社
1929(昭和4)年8月
※巻末に「1914(大正3年7月)記」の記載あり。
※「ツ」と「ッ」の混在は底本通りとしました。
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2003年5月18日作成
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