から二体浮び出た、火影に映る消防夫の姿のやうに。
 乗客一同は又迎へられて、船中の人となつた、榎の渡しを横に見て、川田《かはだ》温田《ぬくだ》の二村のあるところで、乗客は大体どつちかの村へ下りた、饂飩五函、塩一俵が岸に揚がつた、村近くなつて、峡流《カニヨン》も静かになり、米を舂く水車船も、どうやら呑気らしい、御供《ほや》といふ荒村にしばらく船をとゞめて、胡桃の大木の陰になつてゐる川添ひの、茶屋で、私たちは昼飯を食べた、下条村の遠州《ゑんしう》街道《かいだう》が、埃で白い路を一筋、村の中を通つてゐる、ここで、又残りの荷があらかた卸された。
 今まで峡流《カニヨン》には珍らしいほど、屈曲の少なかつた天竜川は、こゝで急な瀬と、深い淵を挟んで、大屈曲をしてゐる、崖は漆喰で固めたように、石を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]みつけ、それに根を下した紅葉の一枝が、紅を潮《さ》してゐる、日は少し西へ廻つたと見えて、崖の影、峯巒《ほうらん》の影を、深潭に涵《ひた》してゐる、和知川《わちがは》が西の方からてら/\と河原を蜒《うね》つて、天竜川へ落ち合ふ。
 両岸が円い石を束ねて、水はその中に狭められて流れてゐる、白壁の土蔵が、柳の樹の間から、ちらほら見える、船からは、酒樽を渚のほとりへ揚げ、船頭が口へ手を当てゝ、オーイと呼ぶ、岸の上から人が覗いて、何か言つてゐる、船頭は今朝の女から、言伝《ことづか》つた手紙を、樽の上へそつと置き、小石を重石代りに乗つけて、又船を川中へ押しやろうとすると、河原について、瀬が浅いので、がりがり言ふばかりで、動かない、二条の細引を舳先に括りつけ、二人して水の中へ入りながら、深いところまで船をおびき出して、動き調子がついたときに、手繰りながら船に躍り込む。
 川はS《エス》字状に屈曲して、浅瀬と深淵と落ち合つて「捨粟の大曲り」を行く、左岸の峯は雲つくばかりに立ち上り、日の光も森にかくれて、燻んだやうに暗く、森の中には、枯木が巨大な動物の骨のやうに、散乱してゐる、崖から庇のやうに突き出た大石の上には、大木が根ぐるみ乗りかけてゐる、冷たい風が、川水を吹いて、裾から腋の下、背から襟へと、駈けめぐつて、そこら中をくすぐつて、振り返る姿を川波に残して、通りぬける。石から石の上を飛びめぐる鶺鴒《せきれい》と筋交ひに、舟は両崖の迫つた
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