山岳についての知識は、至って貧弱で、これほどまでに迂闊《うかつ》であったという一例として、挙げて置くのである。
しかし今日では、日本アルプス大山系も、南は赤石白峰連嶺、中央は木曾山脈、北は濃飛高原からかけて、飛騨山脈に至るまで、参謀本部の陸地測量部員や、日本山岳会会員によって、縦走せられて、前人未踏などいう聖地も、処女の森林も、先ず絶無になり、参謀本部の五万分一図も、これらの日本アルプス地方をはじめ、山岳の部に属する地図が、一番売行が早いという話を、聞くようになって来ると、前とは反対に、一部の登山家連中には、登山ということは、水成岩もしくは火成岩の、蜿蜒《えんえん》とした大山系や大連嶺に限られたかのようになって、火山は浅薄で張合のないものとして顧みられなくなった傾向がある、そこで私は「火山風景論」を草して、火山風景の特色に説き及んだが、私から言わせると、火山に登って、始めて日本アルプスの壮大が了解せられ、日本アルプスに分け入って、始めて火山の美麗が承認せられるわけである。
それどころじゃない、日本山岳風景の最も著しい特色は、日本アルプス系の山岳と富士帯の火山と、錯綜して、各自三千|米突《メートル》前後の大岳を、鋼鉄やプラチナの大鎖のように、綯《な》い交《ま》ぜたところに存するので、ヒマラヤ型や、アルプス式の山岳地と、比較すると、向うにあるもので、こっちにないものもあるが、またそれと反対に、こっちにあって、向うにないものもある、その向うにないものは何であるかというに、引ッ括《くる》めて言えば、水成火成、または変成の大岩塊に、火山、もしくは火山の建設または破壊作用によって、構成された火山式の地貌が、合体して、組成したところに存するのであるから、ここに日本山岳景の特色があるという高札を立てても、大概差支えはなかろうと信ずるのである。
ヒマラヤ型や、アルプス式の山のように、地球の皮の凝固した皺《しわ》から成り立ったものは、土地が屈曲したり、転倒したりすることが絶えない限りは、到るところに、大小高低の差別こそあれ散見することが出来るが、火山ばかりは、今日限定せられているところの火山線の、通過する筋道でなければ、先ず噴出しないのである、日本が火山国と言っても、火山が排列しているところはやはり決まっている、畿内や山陽道や四国(或部分を除けば)などは、火山岩の噴出はあっても、
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