雪を含んで来るのでなければ、氷のように冷たい水のおもてを吹いて来るからであろう。
 私は路々に白いものが飜《こ》ぼれているのを、注意して見たが、それは蝶の翅《はね》の粉が、草に触れ木になすられて、散ったように、澱《よど》んでいるのであるが、よく見ると例の灰である、傷を受けて遁《に》げ足をする獣のあとに、濃い碧の血が滴れているように、日に一寸だめし、五寸だめしに、破壊されている焼岳が、顫《おのの》いたりわめいたりするときに、ところを嫌わず、苦痛の署名《サイン》をして行くのがこの灰である、先刻の梓川の河原にもあった、古楊にもあった、葛の裏葉にもついていたが、島々谷に入ると、黒い粘板岩にも熊笹の葉にもこすられていて、その大部分は風に吹かれ、雨に洗われるであろうのに、残ったのが、未だ執念深く、しがみついているのである。
 むかし戦国時代、飛騨の国司、姉小路秀綱卿が、いくさに負けて、夫人や姫君と共に、落ちのびるところを、追手に殺されたという、執念の谷に、執念ぶかい焼岳の煙が靡き、灰が降りかかるのである。
 谷が蹙《せば》まるに随って、両崖の山は、互い違いに裾を引いて、脚部を水にひたしている、水は
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