白樺の葉が、軟らかに絵日傘に当るような、黄色い光を受けて、ただ四月頃の初々しい春の感じが、森の空気にただよっている、その若葉がくれに、前穂高の厳《い》かつい岩壁を仰いで、沢を登ると、残雪に近くなるかして、渓水がちょろちょろ糸のように乱れはじめ、大岩の截《き》っ立てたところから、滝となって落ちている、もう沢を行かれないので、草を踏み分けて、左岸の森林の中に迷い込む、木はようやく細く痩せて、石楠花が多いが、その白花はもうないかわりに、マイヅル草の白い小花が、米粒でも溢《こぼ》したように、暗く腐蝕した落葉の路に、視神経をチクリとさせる、木の根には蘚苔《こけ》が青々として、水がジクジクと土に沁みこみ、山葵がにょっきり生えている、嘉門次はこの山葵を採りに入って、登り路を発見したのであると言っている、樹の間がくれに焼岳は、朝の空にどっしりと、鈍円錐形を据えて、褪《あ》せた桔梗色の霞沢岳は、去年ながらの枯木の乱れた間から、白雲母花崗岩の白砂を、雪のように戴いて、分岐した峰頭が碧空の底を撫でている。
 踏み心地のよい針葉樹の、暗い路を登るほどに、いつしか栂の純林となって、この鈍林を放れ切るまで、松葉つ
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