燃料のないことだけでも、絶望をしなければならなかった。
 奥穂高といっても、岩石の逼迫《ひっぱく》した凸った地点に、棒杭一本を打ち込んであるだけのことであった。
 そこから、今夜の野営地と決めた谷まで、下りようとしたが、霧のために空へ薄い膜をかけられ、突き破っても、切り払っても、ぼんやりとして一、二尺の先を見つめるのが、精々の努力である、そのうちに霧とも言われない大粒の雨が、防水布の外套を、パチパチ弾《はじ》いて、飛び散る水玉が、石にまで沁みこむようになった、手も凍《こご》えはじめて、下り道を選んでいる暇はない、鋭い山稜だの、崩石だのを迂廻して、一、二丈ばかりの絶壁に行き当った。
 ここを下りなくては、谷へ行けそうもないので、準備の綱を出して、嘉代吉にその一端を持たせ、私は金剛杖を先ず投げ出して置いて、空手で綱に縋《すが》った、雨に濡れた麻の綱は、思わずツルツルと辷って、私を不用意に直下させたが、それでも、中途で岩に足を踏んがけ、綱を力に、身を弓のように反らせて下りた、人夫も後から下りて来た、下りては見たが野営地とは方角が違って石炭の粉のように黒く砕けた岩石が、ザラザラと狭い谷へ頽《く
前へ 次へ
全79ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小島 烏水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング