橋が近いと思った、星の光が澄み切って、濁りのない山中の空気を透《すか》して、針のように鋭くチラチラする。
 橋を渡って、竹籔の中を、しゃにむに押し分け、梓川の水面を見ながら、森の中を三、四町往ったかとおもうと、温泉宿の火光がちらりと見えた、嘉代吉が「オーイ」と呼んで見たが、返辞は更にない。

    神河内

 私の室として与えられたのは、この温泉宿の二階の取っ附きで、一体が大きな材木を使ってある割合には、粗雑な普請で、天井も張ってなければ、壁などは無論塗ってなく、板の壁には、新聞紙がベタベタ張りつけてある、床の間には印刷した文晁《ぶんちょう》の鹿の幅などが、なまじいに懸けてあるのが、山の宿としては、不調和であるが、それでもこの室だけは、一番上等の間《ま》だと見えて、赤い毛布を布《し》いて、客間然とさせてある。
 障子を開けて、椽側に出ると、眼の下がすぐ湯殿で、幅濶《はばひろ》の階子段《はしごだん》を下りると、板をかけ渡して湯殿へ交通が出来るようになっている、その湯殿の入口に、古ぼけた暖簾《のれん》を懸けてあるのが、何だか宿場《しゅくば》の銭湯をおもい出す、この湯殿の側には小池が二つ連
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