許が少しでも、物色の出来るうちにと、ひたすら路を貪って、峠からひた押しに、梓川の森の下道に入る、青い草が絨氈のようにふっくりして、くたびれた足を持ち上るようだ、暗《やみ》の中でも、石だけは白く光っている、穂高岳をふと振りあおぐと、あの肉塊隆々とした、どす黒い岩壁の、空を境にした山稜を、遠くから洞燈《ぼんぼり》をさしかざしたように、柔らかな光線が、のたのたと、蛇のように這っている、それが岳川岳の方へと、一、二寸ぐらいずつ伸びつ縮みつして寄って来る、刹那刹那に烟のように変化して行く、アア Alpine Glow 始めて観たアルプスの妖魔の色!
 私は、くたびれを忘れて、躍り上って悦んだ、その光りは天頂の方へと段々高くなって、最後に燐寸《マッチ》を擦ったように、パッと照り返した、森はもうまっくらになって、徳本の小舎のうしろへ来ると、嘉代吉は「オーイ」と呼ぶ、小舎の中からオーイと対《こた》える、「ちょっと待っていて下さい」と荷を卸して軽々と飛んで行ったが、間もなく戻って来て、おやじの嘉門次が、お客さまを槍ヶ岳と穂高へ案内して、少し足を痛め、小舎(宮川の)に帰ってきょう早くから寝ているという言伝
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