て、梓川の谷間へどっしりと重たく、幅を利かしている、鶯《うぐいす》はせせこましく、夕の空気をつん裂いて啼く。谷の中を、穂高岳を中心として、この山から去ろうとしては、思いを残しているような雲が、綿のように丸まって、穂高の肩にぶつかったが、女の子がちょいと投げた紙屑のように、そのまま無造作に辷《すべ》り落ちて谷へと消える、幾度も来たところではあるし、日も落ちて足許が暗くなるので、私はあわただしく峠の下り道を走って下りた、穂高のうしろに低く聳えた大天井《おてんしょう》岳と常念岳が、夕日の照り返しを受けて、萌黄《もえぎ》色にパッと明るくなっている、野飼いの牛が、一本路をすたすた登って来たが、そこには、逆茂木《さかもぎ》がしつらえてあるので、頭を低《た》れて、入ろうとしたが、入れそうもないので、恨めしそうに佇んで、ジッと見詰めている、私たちは逆茂木と牛の間に割り込んで、身を平ったく、崖につけて、牛をかわして、スタスタ下りる、振りかえれば、牛は追って来ようともしないで、夕暮の沈んだ空気の中に眼鼻も何もない黒いものが、むくむくと蠢《うご》めいている。
 白樺の森も、梓川の清流も、眼に入らばこそ――足
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