槍ヶ岳から、蒲田谷を包み、焼岳を回《め》ぐって、びったりと素《もと》の位置で、繋ぎ合われた。
私はもう行くところがない。
四
振りかえれば、私たちが、前の日に苦しめられた奥穂高つづきの絶壁は、大屏風を霧の中にたたんだり、ひろげたりして、右へ右へと大身の槍の槍ヶ岳まで、半天の空を黒く截ち切っている、三木槍の頭は、尖った岩石の集合体で、両側が殺《そ》いだように薄く、そこから谷へずり下りて、基脚へ行くほど、太くひろがって、裾を引いているが、その中腹、殊に下宮川谷に臨んだ方は、万年雪が漆喰《しっくい》のように灰白になって、岩壁の傾斜をべったりと塗っている、遠くは西方の浄土、加賀の白山は、純潔なる桔梗紫の肌を、大空に浮き彫りにして、肩から腰へとつづく柔軟な肉は、冷たい石の線とも思われず、抛物線の震《ふる》いつきたい美しさを、鼠の荒縞かけた雲の上に、うっとりと眺め入っていたが、日が暮れぬうちと思って、下宮川の谷へ下り始めた、その尾根は痩せ馬の背のように細くて、偃松が鬣《たてがみ》を振り分けている、剃刀《かみそり》の刃のような薄い岩角を斜めに下り、焼岳の灰で黒くなった雪の傾斜を、嘉門次に鉈《なた》で切らせて、足がかりを拵《こしら》え、やっと横切って、その万年雪の縁と、そそり立つ絶壁の裾と、蹙《せば》まり合うところに足を踏んがけ、雪と壁の溝に身を平ったく寄せて、雪から遁《のが》れると、そこに大崩石の路が、一筋の岩壁を境目にして、二分して谷にずり込んでいる、私は左を取って、ゴート(岩石の磊落《らいらく》崩壊している路をいう)へとかかった。
このゴート路の長さだけでも、一里あるというが、梓川の谷までは、直線に下っても、二里半はあろう、前後左右の絶壁からは、岩石が瓦落瓦落《がらがら》となだれ落ちて、路は錐《きり》のように切截された三角石や、刺《とげ》だらけのひいらぎ石に、ふだんの山洪水が、すさまじく押し出した石滝が、乗っかけて、見わたす限り、針の山に剣の阪で、河原蓬の寸青が、ぼやぼやと点じているばかりだ。
ゴート路を下り切ると、ダケカンバなどの、雑木林になって、雨水で凹《くぼ》んだ路が、草むらの中に入り乱れている、時々大石に蹴躓《けつまず》いては、爪を痛める、熊笹が人より高くなって、掻き分けて行くと、刎《は》ねかえりざまに顔をぴしゃりと打つ、笹のざわつくたびに、焼岳の降灰がぷーんと舞いあがるので、顔も、喉も、手も、米の粉でも塗ったようにザラザラとなる、その上に、剛《こわ》い笹ッ葉で、手足が生傷だらけになって梓川の本谷――それは登るときに徒渉したところより、約十町の川上に、突き落されるように飛び下りて、四ツン這いに這ってしまった。
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文中に前穂高とあるは、御幣岳の北部より下れる一支峰にして、梓川に臨み、上高地温泉または河童橋より、最も近く望見し得らるる、三角測量標を有せる低山をいう。
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底本:「山岳紀行文集 日本アルプス」岩波文庫、岩波書店
1992(平成4)年7月16日第1刷発行
1994(平成6)年5月16日第5刷発行
底本の親本:「小島烏水全集」大修館書店
1979(昭和54)年9月〜1987(昭和62)年9月
入力:大野晋
校正:伊藤時也
2009年8月18日作成
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