、湿めッぽく煙っているので、雪の海に、小さな森を載せた島嶼《とうしょ》が突き出ているようだ、私が踏んがけた雪は、思いの外に堅く氷っているので、さらぬだに辷りやすい麻の草履が、よく磨きあげた大理石の廊下でも走るように、止めどもなくつるつると滑り始めた、前にのめって顔でもすりむいてはと、気がかりになって、ちょっと反り身になると、身体が膝を境に「く」の字の角度をして、万年雪のおもてが、蚯蚓張《みみずば》りに引ッ掻かれたかとおもうとき、金剛杖は私の手から引ッたくられたように放り出されて、私は両手で雪を突いた、傾斜がついているから、そのはずみに、軽い体が雪の上を泳ぎはじめた、アッア、アッと本能的に叫んだときには、足の爪先が吊《つ》り上げられたように、万年雪を蹴って、頭の中は冷たい水をさされた、もういきおいのついたうわずった[#「うわずった」に傍点]身体が、雪田の境にある断石の堤防へ、けし飛んで行った。
 先へ下りた嘉代吉が、血相かえて、私に抵抗するように、大手をひろげて、向って来たかとおもったとき、私は嘉代吉の懐にグイと抱き締められていた、「どうしました、怪我はしませんか、怪我は」私は黙って首を振った、胸が重石で圧されたように痛い、雪田を下りかけた人夫は杖を突っかいながら、呆気《あっけ》に取られた顔をしている。
 しばらくは嘉代吉の肩に凭《よ》りかかりながら、徐々《そろそろ》と雪田を下った、裾の方へ来ると、水音が雨に伴って、ざわつき出した、くるぶし[#「くるぶし」に傍点]を痛めたので、跛足をひきながら、石の小舎へ来た。
 石は人の手入れを経ない、全くの自然石で、不思議にも中はおのずと、コ字形に刳ぐられていて、濶さは一坪半ぐらいはあろう、四人ぐらいは潜《もぐ》れそうであるが、うっかり立てば頭を打ちつけるほどに低い。嘉代吉と人夫が荷を卸して、油紙で庇を拵えてくれるのを、待ち兼ねて、石の中へ潜って寝た、雨はざんざ降りになって、庇から岩を伝わっては、ポタポタ雫《しずく》が落ちる、防水布の外套に包まれて、ココアを一杯興奮剤に飲んだまま、飯も喰わずにたわいもなく痲痺したようになって寝た。
 夜中にふと眼をさまして、石の外へ這《は》い出して覗《うかが》うと、雨はいつか止んだらしいが、風はゴーッと唸って、樺の稚木《わかぎ》が騒いでいる、聞きなれない禽《とり》が、吐き出すように、クワッ、クワッ
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