たく烈しい日の光に向って立っていたが、汽車と擦れ違いさまに、仆《たお》れそうになって、辛くも踏み止まった。原の中の小さい池には、雲母を流したような雲の影が、白く浮んで、水の底からも銀色をした雲が、むらむら湧いて来る、丹念に桑の葉に、杞杓《ひしゃく》の水をかけては、一杯一杯泥を洗い落している、共稼ぎらしい男女もある、穂高山と乗鞍岳は、窓から始終仰がれていたが、灰の主《ぬし》(焼岳)は、その中間に介《はさ》まって、しゃがんで[#「しゃがんで」に傍点]いるかして、汽車からは見えなかった。これらの山々から瞰下《みおろ》されて、乾き切っている桔梗ヶ原一帯は、黒水晶の葡萄がみのる野というよりも、橇《そり》でも挽かせて、砂と埃と灰の上を、駈けずって見たくなった。
 松本市で汽車を下りたが、青々とした山で、方々を囲まれていて、雲がむくむくと、その上におい冠《か》ぶさっている、山の頂は濃厚な水蒸気の群れから、二、三尺も離れて、その間に冴えた空が、澄んだ水でも湛えたように、冷たい藍色をしている、そこから秋の風が、すいすいと吹き落して来そうである。

       二

 翌くる日、渚《なぎさ》というところから、馬車に乗った、馬車は埃で煙ッぽくなってる一本道を走る、この辺の農家によくある、平ったい屋根と、白い壁が、青々とした杜《もり》の中へ吸い込まれもせずに、熬《い》りつくような日の下で、かっきりと浮き上って見える、埃の路は、ぼくぼくして、見るからにかったるい、その上を日覆いを半分卸した馬車は、痩せて骨立った馬に引かれて、のろのろと歩むかとおもうと、急に憶い出したように、塵をパッパと蹴立てて駈け出す。
 眼の前には、雁木《がんぎ》の凹みのように、小さな峰が分れて、そこから日本アルプスの禿げた頭が、ぐいと出ている、雪の線が二筋三筋ほど、芒《すすき》に白い斑《ふ》が入ったように、細く刻まれて、荒ららかな膚に、美しい白紐を引き締めている。
 馬車は一里もある松林へ入ると松は左へ左へと、すくすくと影を土に落して、往来には、太くまたは細い飛白《かすり》が織られる、年々来るところであるが、ことしはその松林の一区域が、伐り取られて、切株ばかりの原には、芒がぼうぼうと生えている、褐色の蝶が風に吹かれ吹かれて、急にひろくなった原の上を、迷い気味に飛んで行く、林の半ばほどの路で、立場《たてば》茶屋に休む、渋
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