感じ初めた、唇はピリッとして、亀裂するかと惑われ、その寒さにわなわなと骨髄から震動した。
 足許を瞰下《みおろ》すと、火口壁の周辺からは、蝋燭の融けてまた凝ったような氷柱《つらら》が、組紐の如く、何本となく、尖端を鋭くして、舌のように垂れている、火口底は割合に、雪が多くない。振り返れば外輪山から山腹までの大絶壁は、葡萄《えび》色に赭《あか》ッちゃけて、もう心もち西へ廻った日光が、斜にその上を漂っている、西の方遥かに白峰《しらね》、赤石、駒ヶ岳、さては飛騨山脈が、プラチナの大鎖を空間に繋いだように、蜿蜒《えんえん》として、北溟《ほくめい》の雲に没している、眼を落すと、わが山麓には、富士八湖の一なる本栖《もとす》湖が、森の眼球のように、落ち窪んで小さく光っている。
 来《こ》ん年の夏の炎熱が、あの日本北アルプスの縛《いましめ》の、白い鎖を寸断して、自由に解放するまで、この山も、石は転び次第、雲は飛び放題、風は吹き荒《すさ》ぶなりに任せて、自然はその独創の廃址《ルイン》を作りながら、かつこれを保護しているであろう、今という今「古い家」を塗り潰した「新しい家」の屋上に立って、麻痺した私の神経は
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