チ(かけす鳥)の声は、原始的に森林を愛慕する叫びを思わせる、私は一昨年|独逸《ドイツ》の陸軍少佐で、スタインザアという人と、この温泉宿で、一緒になったが、この人は森林国の独逸人だけあって、森林を愛することは、祖国のようである、独逸の山岳会員で、二十年間登山をしているのだそうで、四十三歳になるが、いまだに無妻でいると言っている、何でも財産を山に使い果すつもりだそうで、槍ヶ岳に登って下りて来たところであるが、ちょっとした露出でも、樹木のないところは、山が剥げてしまって、回復は容易に出来ないと言っていたが、上高地に来て、森林の下を逍遥したときには、これこそ真に日本アルプスであると言って、帽子を振って、躍《おど》り上っていたそうだ、その森林は今|安《いず》くに在《あ》る。
日本山岳会の名誉会員、ウォルタア・ウェストン氏は、かつて欧洲アルプスと日本アルプスとを比較して、日本アルプスに欝葱《うっそう》たる森林の多いのを、その最も愛すべき特徴としていた、同氏が穂高岳に登ったとき、あの森林の梢と梢との間に、ハムモックを吊って、満身に月光を浴び、玉露に濡れた一夜の光景を、私に語ったこともあったが、その愛すべき森林は、今いかんの状態にあるであろうか。
その愛すべき森林が、商人に惜しげもなく、払い下げられた、それも、払い下げによって、土地の生産力を大《おおい》に潤《うる》おすわけならば格別であるが、若干の価をも得られべきでないことは、樹木を見ると、大概わかってしまう、売る方のみでなく、現にそれを買った商人は、樹も小さいし、巣を喰ってもいるし、運搬は不便だし、一向引き合わぬと愚痴を飜《こぼ》しながら、ドシドシ斧《おの》を入れさせる、その伐木を何に使用するかと問えば、薪材にして、潰《つぶ》すより外《ほか》、致し方ないと言っている。一昨々年は、温泉宿附近、前穂高一帯の森が、空地になった、友人亡大下藤次郎氏が、ここで描いた水彩画は、今では森林そのもののためにも、遺念《かたみ》になった、昨年は河童《かっぱ》橋から徳本峠まで、落葉松《からまつ》の密林が伐り靡けられた、本年は何でも、田代池の栂《つが》を掃《はら》ってしまうのだそうであるが、あるいはもう影も形もなくなって、屍体《したい》が方々に転がっているかも知れない。
そうして、山骨は露出し、渓水は氾濫し、焼くが如き炎日は直射し、日本アルプス第
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