鉄道開通して、その益を享《う》くるもの、塩商米穀商以外に多からずとせば、邦人が鉄道を利用するの道もまた狭いかな、偶《たまた》ま地質家、山林家、植物家らにして、これらの人寰《じんかん》を絶したる山間谿陰に、連日を送りたるものあるは、これを聞かざるにあらずといへども、しかもかくの如きはこれ、漁人海に泛《うか》び、樵夫《しょうふ》山に入ると同じく、その本職即ち然《しか》るのみ、余の言ふところの意はこれに異なり、|夏の休暇《サムマア・ヴァケーション》は、衆庶に与へられたる安息日なり、飽食と甘睡《かんすい》とを以て、空耗すべきにあらず、盍《いず》くんぞ自然の大堂に詣でて、造花の威厳を讃せざる、天人間に横《よこた》はれる契点を山なりとすれば、山の天職たるけだし重く、人またこれを閑却するを許さざるなり。
 余今夏、友人紫紅山崎君と峡中に入る、峡中の地たる、東に金峰の大塊あり、北に八ヶ岳火山あり、西に駒ヶ岳の花崗岩《かこうがん》大系あり、余らの計画はこれらの山岳を、次第に巡るに在りて、今や殆《ほとん》どその三の二を遂げたり、而して上下跋渉の間、心胸、豁如《かつじょ》、洞朗、昨日の我は今日の我にあらず、
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