は、もう見たくとも見られない。「菜の花や月は東に日は西に」「菜の花の中に城あり郡山」などいうのは、春げしきの中で、私が永久に保存したく思っている風景画である。
 人に依ると、あの花の馨《かおり》は、糞ッ臭いから、いやだと言うようだが、幸いに私の嗅覚は、それほど過敏でない故か、ちっとも苦にならないどころか、臭いからして、私はこの花が好きだ、梅の匂いのように上品でないかも知れないが、土臭いのが堪《た》まらなくいい。
 併しながら「亡び行く生物」の中に、この菜の花が、次第に加わるのではなかろうか、それとも都落ちの仲間に入って、次第に我等の付近から、影を隠してしまうのではあるまいか、場末の旅籠《はたご》屋などで、食膳の漬け菜の中から、菜の花の蕾《つぼみ》が交って出ることがあるが、偶然だけに、どんなにか私を悦ばすことだろう。
 私の机上には、有り合せの玻璃瓶に、菜の花が投げ込んである、これは弟に捜させて、採って来たものである、天鵞絨《ビロード》のように、手障りの柔らかな青い葉が、互い違いになって、柱のような茎を取りまいて居る、此柱の頭から、莟《つぼ》みが花傘なりに簇《むら》がって、蛹虫《さなぎむ
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