》熔岩流のように、長い舌の形によって、その舐《な》めた痕跡が残る。私が富士山の御殿場口と、須走《すばしり》口の間で見たのは、雪解の痕が砂を柔かく厚く盛り上げて、幾筋ともなく流れているのが、二合目または一合目辺で、力が尽きて停止したままの状態を示していた。その停止している所は、舌の先のようで、お正月の海鼠餅《なまこもち》の格好だ。ただ比較にならぬほど長くて幅が大きいのである。雪解の水に漉《こ》されて沈澱した砂は、粒が美しく揃って、並の火山礫などとは、容易に区別が出来る。また富士山の「御中道めぐり」と称して、山腹の五、六合目の間を一匝《いっそう》する道がある。これを巡ると、大宮口から吉田口に到るまでの間に殊に多く灰青色の堅緻なる熔岩流があり、漆喰《しっくい》で固めたように山を縦に走っている。これは普通火山で見受ける、赫《あか》く焦げた熔岩とは思えないので、道者連は真石と称えているが、平林理学士に従えば、橄欖《かんらん》輝石富士岩に属しているそうだ。この熔岩の上を雪が辷った痕を見ると、滑らかな光沢があって、鏡のように光っている。これは御殿場口から須走口に入ろうとする森林の側の、大日沢という所
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