高山の雪
小島烏水

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)重畳《ちょうじょう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二六八七|米突《メートル》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「雨かんむり/毎」、346−2]爛《ばいらん》

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Ne've'〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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      一

 日本は海国で、島国であるには違いないが、国内には山岳が重畳《ちょうじょう》して、その内部へ入ると、今でも海を見たことのないという人によく出会うのは、私が山岳地の旅行で親しく知ったことである。これに反して山を(高低の差別はあるにもせよ)未だ生れてから見たことがないという人は、盲目でない限りは、殆んどないようである。これは山岳そのものの性質が立体で、遠見が利くからでもあるが、日本が全体において山岳国であることが解る。極端に言えば、日本人は国内においては、向うに山の見えないという地平線に立ったことは、未だないはずである。冬は言うまでもないとして、三月四月頃、試みに郊外に出て見給え、遠くに碧い山か、斑らな雪の縞を入れて、菜の花の末、または青葉若葉の上に、浮ぶように横たわっている。もっとも山の高低や、緯度の如何《いかん》に随って雪の多少はあるが、高山の麓になると、一年中絶えず雪を仰ぎ視る事が出来る。就中《なかんずく》夏の雪は、高山の資格を標示する徽章である。
 雪と山とは、このように密接な関係があり、山上の雪は後に説明するいわゆる「万年雪」や、氷河となっている。即ち永久に地殻の一部を作っているので、地質学者は雪を岩石の部に編入しているほどである。雪と山との合体から、雪の色が山の名になってしまった例は頗《すこぶ》る多い。日本で一番名高いのは「越の白山」と古歌に詠まれた加賀(飛騨にも跨《また》がる)白山(二六八七|米突《メートル》)である。それから日本全国中、富士山に次いでの標高を有する、私共のいわゆる日本南アルプスの第一高峰|白峰《しらね》(三一九二米突)がそれである。やや低い山で、割合に有名なのは、日光と上州草津に白根山(日光二二八六米突、草津二一四二米突)という同名のが二つある。これを外国に見ると、全世界の大山脈を代表するほどに有名なる欧洲アルプスは、前章にも述べた通り、「白き高山」ということで、アルプス山中の最高峰モン・ブラン(Mont Blanc 四八一一米突)は正に白山という義である。その他|亜細亜《アジア》大陸のヒマラヤ大山脈中にも似寄った意義の山名は少なからず発見せられる。即ち「世界の屋根」と呼ばれるヒマラヤ山は、最高峰エヴェレスト Everest は、海抜三万尺の高さに達しているが、ヒマラヤは梵語《ぼんご》「雪あるところ」という意義であるそうで、そこから「雪山」という漢訳語も、起因しているのである。また先年本邦に立寄られた大探検家スエン・ヘディン氏(Sven Hedin)の講演によれば、パミール第一の高山七千八百米突のムスタアグ・アー夕山は、土耳古《トルコ》語で「氷雪白き山岳の父」という意味だそうである、同氏はトランス・ヒマラヤを越えて、西方へ行き、ダングラユムツオ Dangrayumtsuo なる湖水の側《かたわ》らに、タルゴ・ガングリ Targo−gangri 山を発見せられたが、この「ガングリ」なる名は、しばしば西蔵《チベット》語に出て来る「氷の山」の義で、常に崇高な氷雪を戴いているため、チベット人は、神聖視しているとのことだ。
 また北米で有名な、シエラ・ネヴァダ山 Sierra Nevada のシエラは鋸歯ということだが、ネヴァダは万年雪(〔Ne've'〕)と語原を同じゅうした「雪の峰」ということである、米人ジョン・ミューア John Muir は、かつてヨセミテ谿谷 Yosemite Valley の記を草して、このシエラ山は全く光より成れる観があると言って、シエラをば「雪の峰と呼んではいけない、光の峰と名づけた方がいい」と言ったが、雪のある峰であればこそ、光るので、我が富士山が光る山であるのは、雪の山であるためではあるまいか。
 顧みて「高根の雪」なる美しい語が、我が日本の古くからの歌に散見するのも、我が山岳国には欠かれない存在であると云わねばならない。しかしながら、単に「雪で白い山」だけなら、理解力の幼稚な小児でも言える。私どもの知識欲は、この荘厳にして視神経を刺戟する程度の強さが、容積の大から来るそれ
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