はつくであろう。
富士山の如きは、十月より四月頃までは不断の降雪があるが、一昨々年は五月十二日に五合目以上に降雪あり、一昨年は五月二十六日には山巓《さんてん》に降雪があり(信州浅間山にも同年五月二十四日九合目以上に約四、五寸の降雪があった)、六月十日に三合目以上に降雪があり、七月十七日午後二時頃から八合目に降雪があり、一昨年は、八月十六、七日に降雪があったほどで、甲斐、信濃、飛騨、越中、越後辺の日本アルプス帯にも、ただ報告がないというだけで、矢張り同じような降雪があったろうと思われるから、要するに日本の高山は、一年中、量の多少はあっても、降雪は絶えずあるものと信じていて、差支《さしつかえ》はなかろう。随って厳格に言えば、初雪という語は意義を成さないのである。
三
次に、高山の氷雪が、如何《いか》ばかりの造山力を有するかを語ろう。人は山頂の雪を、千古不滅と形容する。富士山には消えないという意味の「万年雪」の名がある。欧洲アルプス地方では、仏蘭西《フランス》語のネヴェ 〔Ne've'〕 を、万年雪というところに用いている、厳格にいうとネヴェとは、雪線以上[#「以上」に白丸傍点]の氷河地方にある不滅の雪で、グレシア(Glacier 普通「氷河」と訳す)とは、雪線以下[#「以下」に白丸傍点]の氷河地方に限られたもののようであるが、日本の山岳地には、雪線も、氷河もないために、ネヴェという語を、固まった半雪半氷状態の万年雪に擬している、しかし単に状態の上から宛《あ》て嵌《は》めた名とすれば、さしたる不都合はなかろうと思われる。しかし地熱の反射から、雪は次第に下から溶解し、上からは新しいのが供給されるから、一見不滅のようでも、それは絶えず新陳代謝しているので、山峰や山稜の上に雪が積ってはまた積り、それが千年も万年も経つとしたら、早い話が、一年に雪が三尺ずつ積れば、五千年で一万五千尺になる計算で、山の上には遥かに高大なる雪の山が出来て、地上の湿分は永久に、山上に閉鎖されて、下界は乾燥になるわけである。しかし世界の何所《どこ》にも、そんな現象がないのは、山頂の積雪は、それ自身の圧力で表面は融解し、時々の雨や雲霧で氷に固形し、これらがそれ自からの重量のために凝《こお》れる河(即ち氷河)または短かい舌状の氷流となり、徐々《そろそろ》と低地に向って垂《た》れ下り、または融
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