半周した、約四分の三まで廻《まわ》った。かくて視《み》たところを綜合して言えば、山の頸部は、三十五度の傾斜から、次第に緩和して二十度、十五度、十度と、延《の》んびりした線を、大裾野へ引き落し、末端は五度位にちぢんでいるが、富士山の如く、草山三里、木山三里、石山三里という割り当ては、シャスタには応用出来ない。草山は、まあいいとして、木山はシャスタでは、谷地帯《やちたい》になっているし、殊《こと》に石山に該当するところは、万年雪と氷河の喰い込みで、岩頸《がんけい》は、篦《へら》でえぐったように「サアク」の鈴成りが出来ているから、サアク帯と呼ぶ方が適当である、その「サアク」からは、言うまでもなく、氷河が流れていて、九千尺以上に五個あるという話であるが、私の望んだのは、ホイットニイ氷河と、南方のマック・クラウド氷河の二つである。前者は前にも述べた通り、シャスタとシャスチナの間の、鞍部《あんぶ》に懸垂《けんすい》しているが、アルプスのベルニーズ・オーバアラント山地あたりの大氷河に比べると、恐らく雛形《ひながた》ぐらいの小さいものだろうが、それでも擬似《ぎじ》氷河ではない。小さいなりに、完全な真氷河であることは、「クレッヴァス」の凹凸《おうとつ》が、かなりの遠くから肉眼でもハッキリと見えるし、大氷河でなくては、滅多に見られないところの、側堆石までを具備しているのでも伺われる、終堆石《しゅうたいせき》は弦《つる》の切れた半弓を掛けたように、針葉樹帯の上に、鮮明に懸《か》かっているのみならず、そこから流下した堆石は、累々として、山麓《さんろく》に土堤を高く築いている。ただ巨大な堆石が、現在見当らないのは、何分にも、氷河が小さく、谷の削り方も浅くて、「剥《は》ぎ取り」が、深く利《き》かないためであろう。もう一つのマック・クラウド氷河の方は、現在では最小の氷河であるが、山麓同名の村に、「マッド・クリーク」という小流があって、その岩壁には、氷河の引ッ掻《か》いた条痕《じょうこん》が、鮮明に残っているところを見ると、昔は今よりも、大きな氷河であったらしいことを示している。
 要するに、シャスタの氷河は、この山の属するキャスケード山脈の最南端だけあって、キャスケードの氷河としては、一番小さいものであることに疑いはないが、仮に、富士山の氷河が成立したとしたら、あるいはまた、日本アルプスの劍岳や立山群峰が、もう五百|米突《メートル》も高くて、氷河の小塊が出来るという想像が、容《い》れられるとしたら、まあこんなものだろうと推測せられるだけに、何となく、捨てがたく思われるのである。
 ここで、冒頭に戻って同じ言葉を繰りかえす、アメリカで好きな山は何かと聞かれると、一番先きに頭に浮ぶのは、シャスタ山である、それは必ずしも、好きであるからではないが、最も多く心を惹《ひ》かれる山であると。
 終りに、この一文を、同行四人の中、馬術の達人であった神田憲君の霊前《れいぜん》に献《ささ》げる。同君は、その後帰朝して、過般の大震災で、鎌倉で圧死《あっし》の不幸に遭《あ》われた、他の二人は、野坂滋明君と国府精一君とである、今は米国と日本に別れていて、共に健在である。



底本:「山の旅 明治・大正篇」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成15)年9月17日第1刷発行
   2004(平成16)年2月14日第3刷発行
底本の親本:「改造」
   1929(昭和4)年7月
初出:「改造」
   1929(昭和4)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※初出時には副題「富士山との比較考察」がありました。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年2月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全5ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小島 烏水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング