るようだ、水は氷雪の結象《コンクリーション》から、流通大自在の性《さが》を享け、新たなる生命を賦与せられたものの特権として盛んに奔放する。低きには森あり、林あり、野の花あり、しかして高きには雪あり、氷あり、我らの不二山は、小さい山だが、熱帯地方の二倍も高い山より偉大なるは、雪と氷に包まれているためである。穂高といわず、槍ヶ岳といわず、奥常念、大天井に至るまで、万古の雪は蒸発しないで下層から解ける雪だ、死の如く静粛に、珠の如く浄美な雪から解けた水の、純粋性の緑を有することは、言うまでもない。
 神河内に流れ落ちる水の脈が、およそどれほどであろう、自分は隅々|隈《くま》なく、跋渉《ばっしょう》したわけではないが、自分の下りて来た穂高山の前の短沢《みじかさわ》を始めとして、槍ヶ岳の麓の徳沢、槍沢、横尾谷、それから一ノ俣、二ノ俣、赤岩小舎の傍の赤沢、引きかえして霞沢山から押し出す黒沢というのは、炭質を含んだ粘板岩が、石版を砕いたように粉になっているもの。白沢はこれに反して、白く光る石英粒の砂岩である、その他名のない沢を合せたら幾十筋あるかも知れぬが、それが絡み合って本流になるのが梓川だ、その本
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