》な、やさしい容姿《すがた》の仏を思い起こします。しかし、仏さまのうちには、不動明王というような、見るからにいかにも恐ろしい仏もあります。「あれでも仏さまか」と疑うほどの恐ろしいお容貌《すがた》の仏さまがあるのです。もっとも、同じ観音さまでも、やさしい顔や相《すがた》の仏さまだ、とばかり思っていると、中には「馬頭観音」とて、不動明王にも、勝《まさ》るとも劣らぬ、恐ろしい姿をしている観音さまもあります。武蔵野《むさしの》などを散歩していますと、よく路傍の石碑《いし》にきざんである、この仏のおすがたを見うけるのですが、とにかく、仏さまなら、もう阿弥陀|如来《にょらい》だけでよい、大日如来だけでよい、釈迦如来だけでも結構なようですが、衆生の機根万差《きこんまんじゃ》ですから、これを救う方にもいろいろな形をした仏があるわけです。仏教では、三世に亙《わた》り、十方に遍《あまね》く、たくさんの仏さまが、おられると説いているのです。けだし、これは果たしてどんな意味なのでしょうか。
 厳父と慈母[#「厳父と慈母」は太字] いったい、私どもの家庭、それは単純な家庭もあろうし、複雑な家庭もありましょう。ま
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