える」という心を奪う事はできないのです。「人間は考える蘆」とは味わうべき、意味ふかい語《ことば》であります。よく考えるか、悪く考えるか、シッカリよく考えるか、よい加減に考えるか、はともかく、人間である以上、それはなにか[#「それはなにか」に傍点]、それはどういうわけで[#「それはどういうわけで」に傍点]、それはどうして[#「それはどうして」に傍点]、などと考えることはむしろ当然です。ではいったいこの般若の四句の|呪文[#「般若の四句の|呪文」は太字]《じゅもん》は、どんな意味をもった言葉かと申しまするに、最前も申し上げたごとく、これは梵語の音をそのまま写したものです。原語でいうと「ガテイ、ガテイ、パーラガテイ、パーラサンガテイ、ボージ、スバーハー」というのです。ところでいま、かりにそれをしいて翻訳してみると、最初の「|掲諦[#「掲諦」は太字]《ぎゃてい》」とはつまり「往《ゆ》くことに於いて」という意味です。だから、「掲諦、掲諦」と重ねていえば、それは「往くことにおいて、往くことにおいて」という意味です。ではいったい、「どこへ行くか[#「どこへ行くか」は太字]」というと、そのつぎの「波羅
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